2020年6月15日月曜日

良忠上人のご生涯①(ご生誕)

これから浄土宗の第三祖「良忠上人」の略伝をお伝えしてまいります。

「聖光上人のご生涯」の冒頭で「初代がいくら偉くても、

二代目三代目が頼りないと潰れてしまいます」と申し上げました。

聖光上人は「一本筋の入った貫禄ある念仏行者」というイメージです。

良忠上人は「浄土宗教団の地盤を固めた行動力の人」と言えるでしょう。

良忠上人は著作が多いことから

「記主禅師」(きしゅぜんじ)とも呼ばれています。

またご自身のことを

「然阿」(ねんな)ともおっしゃいます。

良忠上人は正治元年(1199)石見の国

つまり今の島根県三隅町というところのお生まれです。

法然上人は長承2年(1133)のお生まれですから、

66歳違いということになります。

「おじいさんと孫」ほどの年齢差です。

残念ながら、法然上人のご在世中に良忠上人との

ご対面は叶いませんでした。

お父さまは藤原一族の名門の末裔ですが、

出家して天台宗のお坊さんになられ、

お名前を「円尊」とおっしゃいました。

後に岩見の国に移住されましたが、その理由は定かではありません。

お母さまは伴氏とだけわかっていますが、こちらも詳細は不明です。

今お生まれになった場所には良忠寺というお寺が建っていますが、

明治になってから良忠上人を讃えて建てられたお寺です。

法然上人や聖光上人と同じく、

幼いときからとても聡明なお子であったようです。

11歳の時に三智法師という方がお父さまの円尊さまを訪ねて来て、

恵心僧都源信さまの『往生要集』という書物のお話しを

傍で聞いて感激したといいます。

恵心僧都源信さまは日本の浄土教の基礎を築いた方です。

『往生要集』には、地獄、餓鬼、畜生、

そして極楽の様子がつぶさに記されています。

みなさんは「地獄絵図」をご覧になったことはありますか?

地獄の獄卒が罪人を苦しめる絵は一度観たら脳裏に焼き付けられます。

あの絵の元になっているのが『往生要集』です。

極楽浄土についても詳しく記されています。

本書には法然上人も大きく影響を受けておられます。

良忠上人は11歳の時にその地獄の様子、

そして極楽の様子を聞いて打ち震えたというのです。

『然阿上人傳』
了慧道光