2020年6月13日土曜日

良忠上人のご生涯④(生仏法師)

18歳から数えると16年の月日が経ちます。

良忠上人34歳の時、まだ答えを得ることもできないまま

故郷の石見の奥の多陀寺に籠もって不断念仏を行ったといいます。

「不断念仏」とは食事や睡眠の時間を除いて

ずっとお念仏を称える行です。

このことから、まだ答えは得られていないけれども、

お念仏に傾倒しておられたことに間違いはないとわかります。

浄土教のみ教えに、何かしら惹かれておられたのでしょう。

そんな鬱々とした日々を過ごしておられた良忠上人に、

大きな転機が訪れます。

あるとき友人の生仏法師(しょうぶつほっし)

訪ねて来られました。

生仏法師もまた、教えを求めて旅を続けておられました。

生仏法師もお念仏、とりわけ法然上人のみ教えに触れてみたいと

思っておられたといいます。

しかし法然上人はすでに極楽へ往生された後です。

直接教えを聞くことができないならば、

そのお弟子さんに教えを聞こうと思うけれども、

法然上人にはたくさんのお弟子さんがおられる。

その中でも時に、法然上人往生の後、

教団のリーダー的な存在になっておられた隆寛律師

それから秀才の証空上人

そして九州におられる聖光上人

隆寛律師、証空上人、聖光上人のお三方が法然上人ご往生の後、

各地でお念仏のみ教えを説かれている、

いわばトップスリーだったのです。

京都の長岡京に粟生の光明寺という、

紅葉でも有名な大きなお寺があります

粟生の光明寺は西山浄土宗の総本山です。

この証空上人の流れが「西山浄土宗」となっていくのです。

話を生仏法師に戻します。

隆寬律師、証空上人、聖光上人のお三方の中の

どなたについたらよいのかがわからない。

そこで生仏法師は、三人の名前を紙に書いて、

それを懐にしまって信濃の善光寺に向かいました。

昔の人のこういう行動に惹かれます。

教えを求めるためにはどれだけ旅するのも厭わないのです。

生仏法師はそれから遠い遠い善光寺へと向かいました。

その途中、榊の宿場に泊まりました。

現在、坂城町という町があります。

昔は「榊」とか、「坂木」と書いたようです。

お伝記には「榊宿」とあります。

榊宿は「善光寺には翌日到着」という位置にあります。

その榊宿に泊まった夜に生仏法師は夢をご覧になりました。

夢に登場したのは身の丈八尺、今の単位では240センチもの大男。

紙は雪のように白く、法衣をまとい、

威儀を整えて杖をついたお坊さんが枕元に立って言うのです。

聖光房がよく往生の道を知っているから、聖光房の元を訪ねよ

翌朝生仏法師は、隆寛律師と証空上人の名前を書いた紙を捨てて、

聖光上人のお名前だけを残しました。

もう目的は達成したので、善光寺には行かなくもよいはずですが、

そんな不義理な生仏法師ではありません。

昔の信仰者には本当に頭が下がります。

夢のお告げは善光寺の阿弥陀如来さまが

お坊さんに姿を変えて私の夢に現れてくださった、

その恩に報いるためにと七日七晩善光寺にお参りしたといいます。

そしてまたその足で九州へと向かうのです。

その途中に、同じように教えを求めている友人の良忠上人の元を訪ねてやってきた。

あなたも聖光上人の元へ行きませんか、という訳です。

良忠上人は大喜びで、早速筑後、

今の久留米の善導寺へ向かうことにしました。

『浄土宗行者用意問答』
良忠上人