2020年8月23日日曜日

所求・所帰・去行⑬(十悪 邪見)

十悪の最後は「邪見(じゃけん)」です。

 

「邪見(じゃけん)」とは


「謝った見解」という意味で、


仏教が説くところの「因果の道理」がわからない、


ことをいいます。


何事も「原因」があって「結果」があります。


自らの生活習慣や、ストレスを「因」として


病気という「果」が生まれます。


今の苦しい「果」だけを見て、


「私は何も悪いことをしていないのに、


こんな目に遭うなんて」と嘆く私たちです。


「何か原因があったのだろう」とは、なかなか


納得できない私たちです。


しかし、「果」があるからには、必ず「因」があります。


「善因(ぜんいん)」は「楽果(らっか)」を生み、


「悪因(あくいん)」は「苦果(くか)」を生みます。


「自分の行為」が因となり、「自分に」果がもたらされます。


あなたは、自分にとって苦しいことがもたらされた時に


「何らか私は悪い因になる行為をしたに違いない」と


考えることができるでしょうか。


それよりも、「あいつのせい」「学校のせい」「政治のせい」と


他者に因を求めてしまうのではないでしょうか。


あるいは「何も悪いことをしていないのに」と


因を否定してしまうのではないでしょうか。

 

私たちは「煩悩(ぼんのう)」を持ってあらゆる行為を


するため、「善因(ぜんいん)」を積むことが


とても困難です。


それよりも、圧倒的に「悪因(あくいん)」を積んでしまい、


自ら「苦果(くか)」を招いてしまうのです。


因果の道理を聞いても、それを認められない私たちは、


聞いていないのと同じです。


これが「邪見(じゃけん)」なのです。

 

これら十悪は「悪い行いの代表」であり、

 

「日常的に私たちの誰もが持ち合わせているもの」

 

なのです。

 

「十悪」は地獄・餓鬼・畜生へ生まれる行いです。

 

その「十悪」の者が阿弥陀さまの力によって

 

救われるというのです。