(本文)
我於無量劫(がおむりょうこう)
不為大施主(ふいだいせしゅ)
普済諸貧苦(ふさいしょびんぐ)
誓不成正覚(せいふじょうしょうがく)
(書き下し)
我れ無量劫において 大施主となりて
あまねく諸々の貧苦を救わずんば
誓って正覚を成ぜじ
(現代語訳)
私は無量劫(とてつもなく長い時間)の間、
人々のための大施主となって、
あらゆる所にいる、物心共に貧しい人々を
一人残らず、その苦しみから救おう。
それができなければ、決して仏にはなるまい。
施主というのは「施し主」です。
施しには「物質的な施し」である「財施(ざいせ)」と
「精神的な施し」である「法施(ほうせ)」の
二つがあります。
人々の中には物質的には恵まれていても、
精神的に辛く厳しい環境にある人もいます。
逆に精神的には満たされていても
物質的には貧しい人もいます。
私たちのいる娑婆世界(しゃばせかい)は
満たされない世界です。
法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)は
この娑婆世界(しゃばせかい)から人々を救い出して
「そのような苦しみから解き放ってやろう!」
と誓われたのです。