2020年11月10日火曜日

一紙小消息(いっしこしょうそく)⑯念仏相続(ねんぶつそうぞく)

「行は一念十念なおむなしからずと信じて


無間に修すべし。

 

一念なお生まる、況んや多念をや」

 

極楽へ往生するためには

 

「心」と「行」の両方が必要です。

 

極楽往生を「願う心」と「念仏」の両方が必要です。

 

「心」は「信」です。

 

「たった一遍の念仏でも阿弥陀さまは救ってくださる!」

 

と信じて、その念仏を一生涯続けていくのです。

 

念仏の教えと出会う時期が遅い人、

 

臨終間際に念仏と出会った人は、

 

十遍の念仏しかできないかも知れません。

 

一遍の念仏しかできないかも知れません。

 

しかし幸いに早い時期に念仏と出会った私たちは、

 

そこから一生涯念仏を称えればよいのです。

 

もし途中で念仏が途切れたら、

 

そこからまたスタートすればよいのです。

 

臨終の間際には、病気で念仏を称えることが

 

できなくなっているかも知れません。

 

認知症になって、お念仏の教えを

 

忘れてしまうかも知れません。

 

そんな頼りない私ですから、

 

「今」念仏を称えるのです。

 

「今」阿弥陀さまの救いを信じて、

 

極楽往生を願って念仏を称えるのです。

 

一遍、十遍の念仏でも救ってくださる

 

阿弥陀さまを信じて、今から一生涯称えていこう!

 

と心掛けることが大切です。

 

「一遍でも救ってくださることを信じているのだから、

 

もう称えなくてもいい」

 

という理屈はありますが、

 

そういう人は念仏のことも忘れてしまいます。

 

称えていなかったら、信が無くなってしまいます。

 

「信と行」が揃っていなくてはならないのに、

 

「行」をしないと「信」も無くなってしまうのです。

 

「どんな悪人でも救ってくださるけれども、

 

できるだけ罪を犯さないでおこう」

 

「一遍十遍の念仏でも救ってくださるけれども、

 

たくさん称えていこう」

 

という姿勢が大切なのです。