日常の中でお念仏が称えられれば、
ありがたいですね。
たとえば、歩いている時に「南無阿弥陀仏」と
称えつつ歩いてみてはいかがでしょうか。
私もいつも称えながら歩いています。
人前では大きな声で称えることはできませんが、
口の中で舌を動かして称えることならできます。
お風呂でも称えることできます。
お料理の最中でも、車を運転しているときも
お念仏は称えることはできます。
法然上人はお手洗いでもお念仏を
お称えされていたといいます。
「お手洗いで御念仏を唱えるなんて」と
何か罰当たりのような気はしませんか?
お弟子さんの一人もそう思われて、
「法然上人、いくらなんでもお手洗いで
お念仏を称えるのはよくないんじゃないですか?」
と咎めたところ、
「厠(かわや)にて申す念仏に咎(とが)あれば
召し込めよかし弥陀の浄土へ」という
お歌を返されたといいます。
「厠(かわや)で念仏を申すことが
罪だというのなら、どうぞ極楽へ
召し捕ってもらいたいものだ」
とおっしゃったのです。
このように実践することによって
お念仏が癖付いてきます。
初めは「称えよう、称えよう」と
意識することも大切でしょう。
しかしその内癖付けば、勝手に口をついて
お念仏が出てきます。
こうなればしめたものです。