2021年3月17日水曜日

三義校量(さんぎきょうりょう) ⑪在決定(ざいけつじょう)

(本文)


何が決定(けつじょう)に在る。


彼の造罪の人は有後心(うごしん)・


有間心(うけんしん)に


依止(えじ)して生(しょう)ず。


此の十念は無後心(むごしん)・


無間心(むけんしん)に


依止(えじ)して生(しょう)ず。


是を決定(けつじょう)と名づく。




(現代語訳)


「決定(けつじょう)に在り」とは


どういうことでしょうか。


あの(ごぎゃく)・十悪(じゅうあく)の罪人は、


「まだこの後時間がたっぷりある」


という心をより所にしています。


対してこの十念は、「もう残った時間はない」


という心をより所にしています。


これが「決定(けつじょう)に在り」


という理論です。





三つ目が「在決定」です。


この大悪人にはもう臨終まで残る時間がありません。


私たちはいずれ死ぬ時が来るとは分かっていても、


「今すぐに!」とは思っていませんよね。


このように「残る時間がある」と思う心を


「有後心(うごしん)」「有間心(うけんじん)」


と言います。


後があって死ぬまでに時間があれば、


「もっと悪いことをしてやろう」とか


「今は悪事に手を染めているけれど、


いつか善いことをしよう」


などと「悪事をした先」を想定して


行動をしてしまいます。


対してこの大悪人はもう臨終間際です。


時間がありません。


「無後心(むごしん)」「無間心(むけんじん)」です。


後がない心、死ぬまで間のある心です。


いわば「背水の陣」です。


この時の心は強力です。


「阿弥陀さま!」と頼み、


「極楽へ往きたい」と願う心が強くなります。


そして念仏以外の行をする余裕も無く、


一心に「南無阿弥陀仏」と称えることでしょう。


その「お念仏しかない!」と


極楽往きを決定する心を


「決定心(けつじょうしん)」といいます。


この「無後心(むごしん)」「無間心(むけんじん)」の


「決定心(けつじょうしん)」は重いのです。