(本文)
何が決定(けつじょう)に在る。
彼の造罪の人は有後心(うごしん)・
有間心(うけんしん)に
依止(えじ)して生(しょう)ず。
此の十念は無後心(むごしん)・
無間心(むけんしん)に
依止(えじ)して生(しょう)ず。
是を決定(けつじょう)と名づく。
(現代語訳)
「決定(けつじょう)に在り」とは
どういうことでしょうか。
あの(ごぎゃく)・十悪(じゅうあく)の罪人は、
「まだこの後時間がたっぷりある」
という心をより所にしています。
対してこの十念は、「もう残った時間はない」
という心をより所にしています。
これが「決定(けつじょう)に在り」
という理論です。
三つ目が「在決定」です。
この大悪人にはもう臨終まで残る時間がありません。
私たちはいずれ死ぬ時が来るとは分かっていても、
「今すぐに!」とは思っていませんよね。
このように「残る時間がある」と思う心を
「有後心(うごしん)」「有間心(うけんじん)」
と言います。
後があって死ぬまでに時間があれば、
「もっと悪いことをしてやろう」とか
「今は悪事に手を染めているけれど、
いつか善いことをしよう」
などと「悪事をした先」を想定して
行動をしてしまいます。
対してこの大悪人はもう臨終間際です。
時間がありません。
「無後心(むごしん)」「無間心(むけんじん)」です。
後がない心、死ぬまで間のある心です。
いわば「背水の陣」です。
この時の心は強力です。
「阿弥陀さま!」と頼み、
「極楽へ往きたい」と願う心が強くなります。
そして念仏以外の行をする余裕も無く、
一心に「南無阿弥陀仏」と称えることでしょう。
その「お念仏しかない!」と
極楽往きを決定する心を
「決定心(けつじょうしん)」といいます。
この「無後心(むごしん)」「無間心(むけんじん)」の
「決定心(けつじょうしん)」は重いのです。