2021年3月14日日曜日

三義校量(さんぎきょうりょう) ⑭ 「どんな悪人でも救われる」とは? その二

法然上人が説かれる


「どんな者でも救われる」という


突飛な言い回しが誤解を生んだのは確かです。


「阿弥陀さまの力を信じるなら、


悪いことをすればいいじゃないか」と極端な方へ走り、


そう吹聴する輩も出てきました。


これを「造悪無碍(ぞうあくむげ)」と言います。


「碍」は「さまたげ」という意味ですから、


「造悪無碍(ぞうあくむげ)」は


「罪を造ってもさまたげにならない」という意味です。


何に対するさまたげかというと、「極楽往生」です。


「いくら罪を造っても極楽に往生する


さまたげにはならない」ということなのです。


そういう考えから「いくら悪いことしてもいいじゃないか。


阿弥陀さまが救ってくれるんだから」


と言い出す輩が出てきて暴走しだしました。


もちろんそれを法然上人が


野放しになさっていたわけではありません。


たとえば法然上人とお弟子との問答の中に


このようなやりとりがあったのが、今に遺されています。


「法然上人、阿弥陀さまは悪人を嫌わないからといって、


積極的に悪いことをしようということが


許されるのでしょうか?」


というお弟子の質問です。


周りにそういう人がいたのかもしれません。


それに対して法然上人は


「阿弥陀さまは悪人も見捨てることありません。


ただ、積極的に悪いことをしようという者は


そもそも仏の弟子ではありません。


仏法のどこにも悪業を野放しにせよ、


という教えはありません。


どんな罪を造ったって平気だというのは


仏法でなないのです」と仰っています。