本文
「滅後(めつご)の邪義(じゃぎ)を
ふせがんがために所存を記し畢(おわん)ぬ」
現代語訳
「私亡き後の誤った理解を防ぐために、
思うところを記し終わりました」
この文が記される「一枚起請文」は、
法然上人の臨終間際に、
源智(げんち)上人に授けられた
ご遺訓(ゆいくん)です。
法然上人という柱を失うお弟子達は、
「これから自分勝手な教えを吹聴する者が
出てきた時に、正すことができるだろうか」と
不安だったことでしょう。
事実法然上人ご存命の間にも、
「たった一度だけ念仏を称えさえすればよい」とか、
「念仏は多ければ多いほどよい」、
あるいは「どんな悪人でも救われるのなら、
どんどん悪いことをしてやろう」などという
勝手な教えを広める者が後を絶ちませんでした。
彼らの言動も法然上人が晩年、讃岐に流された大きな理由の一つです。
法然上人は、「浄土三部経(じょうどさんぶきょう)」と
善導大師の教えをきっちりと受け取って、
確信を持って浄土宗を開かれました。
自分に都合よく適当な解釈を採用するのは、
仏教の教えから離れてしまいます。
阿弥陀さまの本願を根拠に、
「南無阿弥陀仏と称えれば必ず極楽浄土へ往生できる」
と信じ、ただひたすら「南無阿弥陀仏」と称える。
浄土宗の教えは、このようなシンプルかつ
仏の御心に適う教えだということを、
法然上人は最期にお弟子達に確認されたのでした。
末代の弟子である私たちも、
この法然上人の教えをしっかと受け取り、
ただ一向に念仏していきたいものです。
(一枚起請文の項終わる)