(本文)
また舎利弗(しゃりほつ)、
極楽国土には七重の欄楯(らんじゅん)・
七重の羅網(らもう)・
七重の行樹(ごうじゅ)あり。
皆これ四宝(しほう)をもて、
周匝(しゅそう)し囲繞(いにょう)せり。
この故にかの国を名づけて極楽という。
(現代語訳)
〈釈尊から舎利弗(しゃりほつ)に向けてのお言葉のつづき〉
「また舎利弗よ、極楽には七重に囲む垣根、
七重に覆う宝の網、七重の並木がある。
それらはみな金・銀・青玉・水晶の
四つの宝でできていて、
国の周りを囲んでいる。
(そんな美しい国であるから)
極楽と名づけるのである」
(解説)
「極楽」が「あらゆる苦しみがなく、楽だけを受ける世界」
だとしても、もし「美味しい料理を食べたいだけ食べ、
一日中お酒を飲み、海岸で寝そべって過ごす」というような
快楽の極みの世界であろうはずはありません。
私たちの欲望は限りがなく、望みが叶っても
満足することはありません。
人が羨む贅沢を手に入れた人が「空しさを感じる」と
おっしゃるのを聞いたことがあります。
ですから極楽の「楽」はそういうものではありません。
「覚りの楽」なのです。
しかし、私たち凡夫には覚りの世界は理解できません。
それでも阿弥陀仏も釈尊も、
「何とか苦しむ凡夫を導いてやりたい」
と願ってくださいました。
そして釈尊は「凡夫にわかるような表現」を用いて
極楽の美しさを表現して「こんな素晴らしい世界だから
目指して来いよ」とお導きくださっているのです。
きらびやかな宝石でちりばめられた、
美しい国だからそこに憧れを持ち、
「往きたい」と素直に願うことが、
仏さまのお慈悲に報いることになるのです。