2021年6月2日水曜日

仏説阿弥陀経⑨

 (本文)


また舎利弗(しゃりほつ)、


極楽国土には七重の欄楯(らんじゅん)・


七重の羅網(らもう)・


七重の行樹(ごうじゅ)あり。


皆これ四宝(しほう)をもて、


周匝(しゅそう)し囲繞(いにょう)せり。


この故にかの国を名づけて極楽という。






(現代語訳)


〈釈尊から舎利弗(しゃりほつ)に向けてのお言葉のつづき〉




「また舎利弗よ、極楽には七重に囲む垣根、


七重に覆う宝の網、七重の並木がある。


それらはみな金・銀・青玉・水晶の


四つの宝でできていて、


国の周りを囲んでいる。


(そんな美しい国であるから)


極楽と名づけるのである」





(解説)


「極楽」が「あらゆる苦しみがなく、楽だけを受ける世界」


だとしても、もし「美味しい料理を食べたいだけ食べ、


一日中お酒を飲み、海岸で寝そべって過ごす」というような


快楽の極みの世界であろうはずはありません。


私たちの欲望は限りがなく、望みが叶っても


満足することはありません。


人が羨む贅沢を手に入れた人が「空しさを感じる」と


おっしゃるのを聞いたことがあります。


ですから極楽の「楽」はそういうものではありません。


「覚りの楽」なのです。


しかし、私たち凡夫には覚りの世界は理解できません。


それでも阿弥陀仏も釈尊も、


「何とか苦しむ凡夫を導いてやりたい」


と願ってくださいました。


そして釈尊は「凡夫にわかるような表現」を用いて


極楽の美しさを表現して「こんな素晴らしい世界だから


目指して来いよ」とお導きくださっているのです。


きらびやかな宝石でちりばめられた、


美しい国だからそこに憧れを持ち、


「往きたい」と素直に願うことが、


仏さまのお慈悲に報いることになるのです。