2021年5月21日金曜日

仏説阿弥陀経⑳

(本文)


舎利弗(しゃりほつ)、


阿弥陀仏(あみだぶつ)


成仏より已来(このかた)、


今において十劫(じっこう)なり。






(現代語訳)


〈釈尊から舎利弗(しゃりほつ)に向けてのお言葉のつづき〉


「舎利弗(しゃりほつ)よ、


阿弥陀仏は仏になられてから、


十劫という年月が経っている」






(解説)


「劫(こう)」という時間の単位を


『浄土宗大辞典』には以下のように


説明されています。


①四方一由旬の鉄城に芥子けし粒を満たし、


 100年ごとに一粒取り去ることを繰り返し、


 空になっても劫は終わらない(芥子劫)。


②40里四方の石を100年ごとに細軟の布で払拭し、


 その石が磨滅しても劫は終わらない(磐石劫)。


①にしても②にしても「とてつもなく長い時間」を


表していることがわかります。


阿弥陀仏がまだ仏になられる前、


法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)として


修行されていた時、


「凡夫を救うためにはどうすればよいか」と


悩まれた時間が五劫であったといいます。


その後、師匠の世自在王仏(せじざいおうぶつ)の


御前で、四十八願を建てられてから、


兆載永劫(ちょうさいようごう)の間、


修行をされた末に成仏され、


「阿弥陀仏」となられました。


そして阿弥陀仏として成仏されてから、


今までの時間を「十劫」と説かれるのです。


「五劫」も「兆載永劫」も「十劫」も、


我々の認知できる範囲を遙かに超えた


長い時間概念で阿弥陀仏や極楽浄土は説かれています。