2025年2月28日金曜日

3月前半のことば

 3月前半のことば

「只申せ 重き誓いのしるしには 人えらびなく 必得往生」

  現在、多くの国で国民の「分断」が問題となっています。人種、宗教、イデオロギー、所得格差、教育格差など、立場や考え方の違いを受け入れることが難しくなっているのです。お互いが自分の正義を絶対だと思い込み、相手を非難し憎んでしまいます。

 浄土宗の高祖善導大師は、私たちは自己中心的な行動によって自分や他人を傷つける凡夫であると説かれました。「私」の家族、家、会社、母校、国と、すべてを「私の」という枠で捉え、その中を自分の思い通りにしようとします。

 しかし、私は自分の体さえ思い通りにできません。ましてや他人を思い通りにすることなどできるはずがありません。

 阿弥陀仏には、凡夫のような自己中心的な枠はありません。阿弥陀仏は、すべての者を救うために極楽浄土を建立してくださいました。そして、「難しいことができなくとも、私の名前を呼ぶことならできるでしょう。我が名を呼ぶ者を必ず極楽浄土へ迎え取る」と誓われました。これを「本願」といいます。

 「名前を呼べ」とおっしゃるので、私たちはただ阿弥陀仏の願いに応えて「南無阿弥陀仏」と称えればよいのです。

 法然上人も「阿弥陀仏の本願は、平等の慈悲によって起こされたものだから、決して人を分け隔てたり嫌うことはありません」とおっしゃっています。

 ただ極楽浄土へ行きたいと願って「南無阿弥陀仏」と称えればよいのです。