2026年6月14日日曜日

6月後半のことば「私の物差し 目盛は都合で変化する」

6月後半のことば

「私の物差し 目盛は都合で変化する」


 私たちは、自分の基準こそが「普通」だと思って毎日を過ごしています。しかし、立場が一つ変われば、ものの見方は驚くほど変わってしまうものです。

 たとえば、交通の場面を思い浮かべてみてください。車を運転している時は、道をゆっくり渡る歩行者を「邪魔だな」と感じてしまうことがあります。ところが、いざ自分が歩行者として道を渡る側になると、止まろうとしない車に対して「自分勝手だ」と憤(いきどお)りを感じる。身に覚えのある方も多いのではないでしょうか。

 これは、お仕事や家庭の中でも同じです。人に指示を出す立場になれば、相手がすぐに動かないことに苛立ちを覚えます。逆に指示を受ける立場に回れば、今度は相手の言い方にトゲがあると感じて反発したくなる。

 私たちは、その時々の都合に合わせて、自分だけの「物差し」の目盛りを書き換えています。そして恐ろしいことに、その自分勝手な変化には、なかなか自分自身で気づくことができません。仏教では、このように自分を中心において物事を見てしまう心を「我執(がしゅう)」と呼び、私たちを苦しめる煩悩の根源であると説きます。

この我執を完全に消し去ることは、容易ではありません。私たちは常に「自分」というフィルターを通してしか、世界を見ることができないからです。

 しかし、「自分は我執の塊なのだ」と意識することなら、今日からでも始められます。自分の物差しは決して絶対ではないと自覚する。そこが救いへの第一歩です。まずは自分の目盛りが自分勝手に動いていないか。ふとした瞬間に立ち止まって、心を確認してみませんか。