2021年2月28日日曜日

下品下生(げほんげしょう) ⑩ 下品下生(げほんげしょう)その八

(本文)


聞きおわって歓喜して、時に応じて


すなわち菩提(ぼだい)の心(しん)を発(おこ)す。


これを下品下生(げほんげしょう)の者と名づく。


これを下輩生想(げはいしょうそう)と名づけ、


第十六の観と名づく。




(現代語訳)


このような者を下品下生(げほんげしょう)の者といい、


以上の下品三生(げほんさんしょう)を


下輩生想(げはいしょうそう)といい、


第十六観(だいじゅうろっかん)というのである。





このように上品上生(じょうぼんじょうしょう)から


下品下生(げほんげしょう)まで、


九種類の人々の臨終の様子が描かれます。


この九種類の人々にはそれぞれの人生があります。


そして色んな縁があり、善い行いをする人もおれば、


悪事に手を染める人もいます。


ただ、どの人もおしなべて


凡夫(ぼんぶ)であることに違いはありません。


その凡夫(ぼんぶ)が極楽浄土へ往生する教えが


阿弥陀仏の本願念仏です。


阿弥陀仏の本願を信じ、極楽浄土への往生を願い、


「南無阿弥陀仏」と称える者は、


どんな者でもすべて極楽浄土への往生が叶います。


ではなぜ、『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう』に


九種類の人々の臨終の状況に違いがあると


説かれるのでしょうか。


法然上人は、これは釈尊の巧みな手立てであり、


善人も悪人も同じところに往生するというと、


悪事に手を染める者が


「それならどんな悪いことをしていいじゃないか」と


慢心をおこすであろうから、


方便として階位の違いが説かれるのだ、とおっしゃいます。


ですから上品(じょうぼん)であっても


下品(げほん)であっても、念仏を信じて称える者は


必ず極楽浄土に往生することができます。


華の開く早さなども心配するに及びません。


ただ信じて称えるのみです。