2021年2月22日月曜日

下品下生(げほんげしょう) ⑯ 流通分(るづうぶん) その三

(本文)


この三昧(さんまい)を行(ぎょう)ぜん者は、


現身(げんしん)に、


無量寿仏(むりょうじゅぶつ)および


二大士(にだいし)を見ることを得ん。


もし善男子(ぜんなんし)・善女人(ぜんにょにん)、


ただ仏(ほとけ)の名(みな)、


二菩薩(にぼさつ)の名(な)を聞くすら、


無量劫(むりょうこう)の生死(しょうじ)の罪を除く。


何(いか)にいわんや憶念(おくねん)せんをや。




(現代語訳)


これまで説いてきた精神集中(三昧)を


実践する者は、今生の身で


無量寿仏(むりょうじゅぶつ)と


偉大なる観世音、大勢至の二菩薩を


見奉ることができる。


またもし男であれ女であれ善良なる人々が、


ただ単に無量寿仏の名と二菩薩の名を


耳にするだけでも、無量劫(むりょうこう)もの間


生死(しょうじ)を繰り返さねばならない


罪の報いさえ除かれる。


ましてや無量寿仏と二菩薩を憶念すれば、


さらに多くの罪の報いが除かれるのは言うまでもない。





三昧(さんまい)というのは、


仏さまや浄土に心を寄せて集中し、


目の前にそのお姿や情景を映し出す瞑想の境地です。


「贅沢三昧」とか「カニ三昧」などという言葉の


元は「瞑想の境地」なのです。


阿弥陀さまと観音菩薩、勢至菩薩の


お名前を聞くだけでも無量劫(むりょうこう)という


長い間積んできた罪が消えるというのです。


阿弥陀さまと目の前でお目にかかれたら、


どれほどの功徳がありましょうか。