「罪は十悪(じゅうあく)五逆(ごぎゃく)の者も生まると信じて、
小罪(しょうざい)をも犯さじと思うべし。
罪人なお生まる、況(いわ)んや善人をや」
法然上人はとても鋭い目線で、人間洞察されます。
「大丈夫、阿弥陀さまが救ってくださるからね」
と仰りながら、
「だからと言ってタガを外してはいかんよ」
と絶妙のバランスでお説きくださるのです。
「お説教」のことを別に「勧誡(かんかい)」ともいいます。
「勧」は勧める。
「誡(かい)」は誡(いまし)める。
お念仏を勧めるだけなら
「勧誡(かんかい)」にはなりません。
「これをやってはいけませんよ」
ということもお伝えしてこそ
「勧誡(かんかい)」なのです。
「勧門(かんもん)は薬の如く、
誡門(かいもん)は毒忌み(どくいみ)の如し」
といいます。
病気になった人に薬を与える如く、
「救われたい!」と願う人に
お念仏を勧めるのが勧門(かんもん)です。
「傷んだものを食べたら腹痛になりますよ」
「素手で漆の木を触ったらかぶれますよ」
と言うのが誡門(かいもん)です。
「十悪五逆(じゅうあくごぎゃく)の者も
念仏によって救われますよ」
「どんな悪人も阿弥陀さまは見捨てませんよ」
というのが勧門(かんもん)。
「だからと言ってどれだけでも罪を作っていい、
ことではありませんよ。
罪は作らないように心掛けましょうね」
というのが誡門(かいもん)です。
「どんな者でも救われる」という一方で、
「小さな罪も犯すまい」と心がけるべきなのです。