(本文)
かのごとき愚人(ぐにん)、
命終(みょうじゅう)の時に臨んで、
善知識(ぜんちしき)の、
種種に安慰(あんに)して、
為(ため)に妙法(みょうほう)を説きて、
教えて念仏せしむるに遇えり。
(現代語訳)
ところがこのような愚かな人が、
命が尽きようとする時になって
仏教へと正しく導く人(善知識)に逢う。
そしてその人は愚人(ぐにん)をなだめすかし、
その愚かな人のために、
えも言われぬすばらしい教えを説き
仏に想いを馳せさせようとする。
その愚かな人は、自分がしてきた悪事を
自覚していることでしょう。
「俺はあんな悪いこともした。
こんな悪いこともした。
こんな俺はきっと地獄へいくしかないだろう」
そんなことを思いますが、
いざ臨終を迎える時には、
苦しくて恐ろしくて仕方ありません。
そこに善知識と呼ばれる、念仏者が現れます。
その人はお坊さんなのか、
そうでないのかはわかりませんが、
念仏の教えを信じて実践している人です。
善知識はその愚かな人を慰め、
「あなたは今まで悪いことばかりを
してきたことでしょう。
でも阿弥陀さまは決して
あなたを見捨てることはありません」
と言って、極楽浄土や阿弥陀仏のことを
愚かな人がわかるように説き、
極楽浄土や阿弥陀仏を心に映し出すための
瞑想を勧めます。