2021年3月5日金曜日

下品下生(げほんげしょう) ⑥ 下品下生(げほんげしょう) その四

(本文)


この人、苦に逼(せ)められて、


念仏するに遑(いとま)あらず。


善友(ぜんぬ)告げていわく。


汝(なんじ)もし念ずること能(あた)わずんば、


まさに無量寿仏(むりょうじゅぶつ)と


称(しょう)すべしと。




(現代語訳)


しかし、その愚かな人は苦しみに苛まれて


仏に想いを馳せる余裕すらない。


そこでその仏教へと正しく導く人(善知識)が、


『汝、仏に想いを馳せることができないなら、


無量寿仏(むりょうじゅぶつ)と称えなさい』


と告げる。






善知識に、極楽浄土や阿弥陀仏へ


想いを馳せる瞑想を勧められます。


しかし臨終を迎えた愚かな人は、


なかなか心を集中することができません。


なぜなら、臨終を目の前にして、身体と心の


苦痛が押し寄せてきているからです。


善知識は「苦しいのですね。


苦しさで極楽浄土や阿弥陀仏に想いを向けようと


思ってもできないのですね。


それならば、それならば無量寿仏(むりょうじゅぶつ)と


称えなさい」と勧めるのです。


「無量寿仏(むりょうじゅぶつ)」というのは、


阿弥陀仏のことです。


つまりここで「南無阿弥陀仏」のお念仏を


お勧めになったのです。