2021年3月20日土曜日

三義校量(さんぎきょうりょう) ⑧ 在心(ざいしん)その二

(本文)


譬えば千歳(せんざい)の闇室(あんしつ)に


光(ひかり)若し暫く至らば、


即便(すなわち)明朗なるがごとし。


闇、あに室に在ること千歳(せんざい)にして


去らじと言うことを得んや。


是を心(しん)に在りと名づく。




(現代語訳)


たとえば千年間真っ暗であった闇室(あんしつ)に、


一瞬でも光が入れば、たちまち明るくなることでしょう。


「千年もの間暗かったので闇は去らない」


などということがありましょうか。


これが「心(しん)に在り」という理論です。






例えば千年間扉を閉じて、


暗闇であった部屋を明るくするのに


千年かかるでしょうか?


かかりませんよね。


光が入れば一瞬の中に明るくなります。


それと同じように、親殺しの罪を行う心は


闇のようなものだけれど、


念仏の光が心にさせば瞬く間に明るく輝くのです。


よって罪を作る心より念仏の心の方が重い。


これが在心(ざいしん)と呼ばれる量り方です。