(本文)
世尊、悉く皆まさに往生すべし、
かの国に生(しょう)じおわりなば、
諸仏現前三昧(しょぶつげんぜんざんまい)を
得んと記(き)したまう。
無量の諸天は、無上道心(むじょうどうしん)
を発(おこ)す。
(現代語訳)
釈尊は彼女たち一人一人に
「汝らはかの極楽世界に必ずや往生するはずだ。
かの極楽世界に往生した後に
諸々のみ仏が目の前にまします境地を得る」
との予言をお与えになった。
また会座に連なった無量の天界の神々は
無上道心(むじょうどうしん)を
発(おこ)したのである。
釈尊に「極楽浄土へ必ず往生して、
間違いなく仏さまに逢えるよ」と
言われたら、どれほど嬉しいことでしょう。
釈尊滅後の修行者たちが、
多く「お釈迦さまに会いたかったなあ」
「お釈迦さまのおられる時代に生まれたかったなあ」
と嘆かれました。
釈尊に直接指導を受けることができれば、
韋提希夫人(いだいけぶにん)や
侍女たちと同じように、「いずれ覚りを開いて成仏できるよ」と
太鼓判をいただくことができたのでしょう。
法然上人は「釈尊のおられる時代に生まれることが
できなかったのは悲しみではあるが、
まだ仏教の教えが残っている時代に生まれたことは
悦ばしいことだ」とおっしゃっています。
私たちは釈尊の時代から遠く遅れて生まれてきましたが、
まだ仏法が残り、しかも「南無阿弥陀仏」と称えるだけで
極楽浄土へ生まれることができる教えを
知ることができました。
そう考えると、私たちも韋提希夫人(いだいけぶにん)や
侍女たちと同じように、悦ぶべき環境にあるのです。