(本文)
この事(じ)を見る者は、すなわち十方(じっぽう)
一切の諸仏を見たてまつる。
諸仏を見たてまつるをもっての故に、
念仏三昧(ねんぶつざんまい)と名づく。
(現代語訳)
この様子を見る者は、すぐにあらゆるところの
すべての仏さまを見ることになるでしょう。
多くの仏さまを見るので、念仏三昧(ねんぶつざんまい)と
名づけるのです。
(解説)
瞑想によって、阿弥陀さまと目の当たりに
対面することができれば、どれだけ嬉しいことでしょう。
そのような瞑想の境地をサンスクリット語で
「サーマディー」といい、それを音写したのが
「三昧(さんまい)」という言葉です。
贅沢三昧などと日常に使われる言葉の語源は
瞑想の境地を意味します。
このように三昧の境地に至ることができれば
仏さまと会うことができます。
しかしそのような力がなくとも、
南無阿弥陀仏と念仏を称える者が、
いざ臨終を迎える時には、阿弥陀さま自らが
私たちの目の前にお迎えに来てくださって、
対面することができます。
それを「来迎(らいこう)」といいます。
来迎関連
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必ずいつか阿弥陀さまとお会いすることはできます。
安心してお念仏を称えましょう。