(本文)
舎利弗、汝、この鳥は実にこれ
罪報(ざいほう)の所生(しょしょう)なりと
謂(おも)うことなかれ。
所以(ゆえん)は何(いか)ん。
かの仏の国土には
三悪趣(さんなくしゅ)なければなり。
舎利弗(しゃりほつ)、その仏の国土には、
なおし三悪道(さんなくどう)の名もなし。
何に況んや実(じつ)あらんや。
この諸もろの鳥は皆これ阿弥陀仏の
法音(ほうおん)をして
宣流(せんる)せしめんと欲して、
変化(へんげ)して作(な)す所なり。
(現代語訳)
〈釈尊から舎利弗(しゃりほつ)に向けてのお言葉のつづき〉
「舎利弗(しゃりほつ)よ、
あなたはこの鳥が、罪の報いによって
鳥に生まれ変わったのだと考えてはならない。
なぜなら、極楽には三悪道(さんなくどう)、
つまり地獄・餓鬼・畜生という
苦しみ大きい世界がないからである。
舎利弗(しゃりほつ)よ、
極楽には三悪道(さんなくどう)の名前すらない。
ましてや三悪道(さんなくどう)があるはずがない。
これらの様々な鳥は、みな阿弥陀仏の教えを
説き広めようとして、
姿を鳥に変えて現れたのである。
(解説)
仏教の世界観に六道輪廻(ろくどうりんね)があります。
すべての者は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の
六つの世界を生まれ変わり死に変わることを
繰り返していると説きます。
この六道輪廻は苦しみ迷いの世界です。
特に地獄・餓鬼・畜生は苦しい世界で、
この三つを三悪道(さんなくどう)、
あるいは三悪趣(さんなくしゅ)、
または三塗(さんず)、三途(さんず)といいます。
迷いの世界にいながらも、極楽浄土への往生を
願い、念仏を称える者は、その命尽きる時に
阿弥陀仏がお迎えくださり、極楽浄土へと
往生することができます。
そして二度と六道で迷うことはありません。
すなわち極楽浄土は六道の外にあるのです。
また、極楽浄土の中には地獄、餓鬼、畜生という
苦しい世界はありません。
『阿弥陀経』に登場する鳥たちは、
迷いの世界の存在ではなく、
阿弥陀仏の功徳によって、私たちを導き、
極楽の往生人に法を説くために
仮に姿を現した存在なのです。
六道輪廻については
「念仏と出会うということ」の項をご参照ください。