2021年5月23日日曜日

仏説阿弥陀経⑱

(本文)


舎利弗(しゃりほつ)、


汝が意(こころ)において云何(いかん)。


かの仏を何が故ぞ阿弥陀と号したてまつる。


舎利弗(しゃりほつ)、


かの仏の光明無量にして、


十方(じっぽう)の国を照らすに


障碍(しょうげ)する所なし。


この故に号して阿弥陀とす。




(現代語訳)


〈釈尊から舎利弗(しゃりほつ)に向けてのお言葉のつづき〉


「舎利弗(しゃりほつ)よ、


あなたは以下のことをどのように思われるか?


なぜその仏を阿弥陀とお呼びするのであろうか?


舎利弗よ、阿弥陀仏が放たれる光は無量であり、


遮られることなく、十方の国を照らしている。


だから阿弥陀とお呼びするのだ」






(解説)


ここで釈尊は舎利弗尊者(しゃりほつそんじゃ)に


問いを投げかけられます。


「なぜその仏を阿弥陀というのかわかるか?」


という問いです。


その問いに舎利弗尊者が答えられることを待たず、


釈尊はお話しになります。


「阿弥陀」と名づける理由は二つあるとおっしゃいます。


一つ目は、「阿弥陀」は「限りなき光」


という徳を収めた仏さまである、ということです。


阿弥陀仏から放たれる光は


際限なく十方の世界を照らして、


すべての者を救おうと


手を差し伸べてくださっています。


だから「限りない」という意味をもつ


「阿弥陀」と名づけるのだ、とおっしゃるのです。