(本文)
舎利弗(しゃりほつ)、
汝が意(こころ)において云何(いかん)。
かの仏を何が故ぞ阿弥陀と号したてまつる。
舎利弗(しゃりほつ)、
かの仏の光明無量にして、
十方(じっぽう)の国を照らすに
障碍(しょうげ)する所なし。
この故に号して阿弥陀とす。
(現代語訳)
〈釈尊から舎利弗(しゃりほつ)に向けてのお言葉のつづき〉
「舎利弗(しゃりほつ)よ、
あなたは以下のことをどのように思われるか?
なぜその仏を阿弥陀とお呼びするのであろうか?
舎利弗よ、阿弥陀仏が放たれる光は無量であり、
遮られることなく、十方の国を照らしている。
だから阿弥陀とお呼びするのだ」
(解説)
ここで釈尊は舎利弗尊者(しゃりほつそんじゃ)に
問いを投げかけられます。
「なぜその仏を阿弥陀というのかわかるか?」
という問いです。
その問いに舎利弗尊者が答えられることを待たず、
釈尊はお話しになります。
「阿弥陀」と名づける理由は二つあるとおっしゃいます。
一つ目は、「阿弥陀」は「限りなき光」
という徳を収めた仏さまである、ということです。
阿弥陀仏から放たれる光は
際限なく十方の世界を照らして、
すべての者を救おうと
手を差し伸べてくださっています。
だから「限りない」という意味をもつ
「阿弥陀」と名づけるのだ、とおっしゃるのです。