2021年4月30日金曜日

真身観文(しんじんがんもん)①

今日から「真身観文(しんじんがんもん)」


について、お伝えしてまいります。


浄土宗のおつとめでもよく読まれるお経です。


「真身観文(しんじんがんもん)」は、


浄土三部経の一つ、『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』に


所収されているお経です。


『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』の内容は


「瞑想して極楽や阿弥陀仏、観音勢至菩薩を


観る」という修行を説くことが大半を占めています。


それにも関わらず、一番最後に釈尊が


「でもそんな難しい修行ができない者は


南無阿弥陀仏と念仏を称えて阿弥陀仏に救いを求めよ。


そしてその教えを末代まで届けてくれよ」と


お説きになるという大逆転のお経です。


『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』の


「下品下生(げほんげしょう)」から最後までは


以前上げましたので、そちらをご覧ください。



下品下生

https://hourinji.blogspot.com/search/label/%E4%B8%8B%E5%93%81%E4%B8%8B%E7%94%9F%EF%BC%88%E3%81%92%E3%81%BB%E3%82%93%E3%81%92%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%EF%BC%89



では、念仏以外の瞑想修行(観法、観想、観念などといいます)


は必要ないのか?というと決してそんなことはありません。


浄土宗の教えは、「極楽浄土への往生を願い、


阿弥陀仏にすがって、南無阿弥陀仏と念仏を称える」


というものです。


その願うべき極楽浄土がどういう所なのか、


すがるべき阿弥陀仏がどんな仏さまなのかが


全く不明であったら、願いようもすがりようもありません。


実際に瞑想して極楽浄土や阿弥陀仏を目の当たりに


観ることは至難の業ですが、「こんなところなのか」と


イメージして欣慕することは大切なことです。



観察正行

https://hourinji.blogspot.com/2020/12/blog-post.html



今回のテーマである「真身観文(しんじんがんもん)」は、


「阿弥陀仏とはどんな仏さまなのか」が


説かれる箇所です。


「こんな素晴らしい仏さまなのか」と


イメージしていただき、信仰の糧に


していただきたいと思います。