2020年6月3日水曜日

聖光上人のご生涯②(比叡山へ)

どういう事情か記すものがないので詳細はわかりませんが、

聖光上人はわずか七歳で仏教の勉強を始められ、

九才で出家して頭を剃り、聖光房弁長というお名前を授かります。

さらには十四歳で、授戒を受けられて一人前のお坊さんになられたんです。

おそらくご両親が参籠なさった観世音寺での受戒と思われます。

その後、ご生誕の地近くにある白岩寺にて三年、飯塚の明星寺で五年にわたって

必死に勉学修行に励まれます。

福岡県久留米市に浄土宗の大本山「善導寺」があります。

善導寺の聖光上人像は、一般にイメージされる九州人、九州男児そのものです。

「威風堂々」という形容がふさわしい、力強い姿のお像がお祀りされています。

その風貌通り、力強く一生涯「行」を続けられました。

22歳で比叡山に登り、観叡上人に師事した後、観叡上人の勧めで、

証真上人という方のお弟子になります。

この証真上人という方は、学徳共非常に優れた方で、学問と修行に打ち込むが余り、

源平の戦いがあったこともご存じなかったといわれています。

にわかには信じがたい逸話ですが、それ程に厳しく修行をされた方だったのでしょう。

聖光上人は、証真上人に付いて比叡山で八年間修行なさり、九州へと帰って行かれます。

証真上人は法然上人の智徳に敬意を持っておられましたから、

聖光上人もその頃法然上人のお名前を耳にされていたのかもしれません。

『聖光上人傳』
了慧道光



3月後半のことば

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