2020年9月30日水曜日

浄土宗のおつとめ⑭(懺悔偈〈さんげげ〉その七)

「懺悔偈(さんげげ)」の直後に

 

「十念(じゅうねん)」を称えます。

 

「十念(じゅうねん)」とは

 

十遍「南無阿弥陀仏」を称えることです。

 

一般的に「念」という言葉は「念じる」などというように

 

「思う」ことを表します。

 

しかし私たち浄土宗は、

 

「善導大師(ぜんどうだいし)」と「法然上人」の

 

お示しにより、「念」=「声」と理解します。

 

「念は声」なのです。

 

つまり「十念」は「南無阿弥陀仏」を「声に出して」

 

十遍称えることをいいます。

 

「なむあみだぶ」と八遍称え

 

(途中息が続かなければ四遍で区切るのも可)、

 

九遍目のみ「なむあみだぶつ」と「つ」まで称え、

 

十遍目は「なーむあみだぶ」と称えます。

 

その際には「阿弥陀さまのお顔」を

 

しっかりと拝んで「どうか阿弥陀さま、

 

私の心の奥の奥までご覧になってください」

 

と懺悔(さんげ)する思いでお称えください。

2020年9月29日火曜日

浄土宗のおつとめ⑮(開経偈〈かいきょうげ〉その一)

今までは序章、ここからは本章にあたるところです。

 

(本文)

 

無上甚深微妙法

 

(む じょうじんじん みょうほう)

 

百千万劫難遭遇

 

(ひゃくせんまんごうなんそうぐう)

 

我今見聞得受持

 

(がこんけんもんとくじゅじ)

 

願解如来真実義

 

(がんげにょらいしんじつぎ)

 

 

 

(書き下し)

 

無上甚深微妙(むじょうじんじんみみょう)の法は、

 

百千万劫(ひゃくせんまんごう)にも

 

遭(あ)い遇(あ)うこと難(かた)し。

 

われ今、見聞(けんもん)し

 

受持(じゅじ)することを得たり。

 

ねがわくは如来(みょらい)の

 

真実義(しんじつぎ)を解(げ)したてまつらん。

 

 

 

(現代語訳)

 

この上なく深くすぐれたみ教えには

 

とてつもなく長い年月を経たとしても

 

出会うことは難しいのです。

 

私は今、そのみ教えを受け取ることができました。

 

仏さまが説かれる真実の意味を

 

心の底から解りたいと願います。

2020年9月28日月曜日

浄土宗のおつとめ⑯(開経偈〈かいきょうげ〉その二)

多くの方は「不思議なご縁で仏教と出会った」という

 

感覚はないと思います。

 

「先祖代々のつきあい」「たまたま」「嫁ぎ先のご縁」

 

私などは「たまたま生まれた先が浄土宗のお寺だった」

 

と思っていました。

 

しかしそうではありません。

 

このことにつきましては「お念仏と出会うということ」

 

というシリーズでお伝えしましたので、

 

そちらをご覧下さい。

 

「お念仏と出会うということ」https://hourinji.blogspot.com/search/label/%E6%B5%84%E5%9C%9F%E5%AE%97%E3%81%AE%E6%95%99%E3%81%88%E7%AC%AC2%E9%83%A8%E3%80%80%E5%BF%B5%E4%BB%8F%E3%81%A8%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%86%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8

 

今、実はとても不思議なご縁によって、

 

仏教のみ教えと出会い、教えを聞く機会を得たのですから、

 

どうぞ「本気で」向き合っていただきたいと願うばかりです。

 

この「開経偈」を唱えて、

 

浄土宗の私たちは

 

『浄土三部経(じょうどさんぶきょう)』を開いて

 

「これから教えを聞かせていただくのだ」と

 

心を向けていくのです。

2020年9月27日日曜日

浄土宗のおつとめ⑰(誦経〈じゅきょう〉)

「お経を声に出して読むこと」を

 

「誦経(じゅきょう)」といいます。

 

浄土宗で読む「お経」は

 

『浄土三部経(じょうどさんぶきょう)』です。

 

「日常勤行(にちじょうごんぎょう)」においては、

 

「お釈迦さまが説かれた」

 

『浄土三部経(じょうどさんぶきょう)』の教えを、

 

「私の(あなたの)声を通して」聞かせていただきます、

 

というのが「誦経(じゅきょう)」の役割です。

 

多くは『無量寿経(むりょうじゅきょう)』の中から

 

「四誓偈(しせいげ)」を、

 

『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)の中から

 

「真身観文(しんじんがんもん)」を読みます。

 

または『阿弥陀経(あみだきょう)」を全文読むことも

 

多くあります。

 

それぞれについては、項を変えて改めてお伝えします。

 

2020年9月26日土曜日

浄土宗のおつとめ⑱(本誓偈〈ほんぜいげ)その一)

(本文)

弥陀本誓願(みだほんせいがん)

  

極楽之要門(ごくらくしようもん)

  

定散等回向(じょうさんとうえこう)

  

速証無生身(そくしょうむしょうしん)

 

 

(書き下し)

 

弥陀の本誓願は 極楽の要門なり

 

定散等しく回向して、 速やかに無生身を証せん

 

(現代語訳)

 

阿弥陀仏の本願は、極楽浄土へ往生するための

 

要となる教えです。

 

心を集中して行う修行、散り乱れる心のままに

 

行う修行、様々な修行の功徳をすべて

 

極楽浄土への往生のために振り向けて

 

いずれ往生した後に、

 

速やかに覚りを得られますように。

2020年9月25日金曜日

浄土宗のおつとめ⑲(本誓偈〈ほんぜいげ〉その二)

「本誓偈(ほんぜいげ)や次にお伝えする

 

「聞名得益偈(もんみょうとくやくげ)」を

 

「回向文(えこうもん)」といいます。

 

回向文(えこうもん)とは、

 

お経を唱えて善い功徳を積み、

 

その功徳をもって何かを願う際に

 

「何を願うか」を明らかにして、

 

その願いをこめた文をいいます。

 

ですから、回向文(えこうもん)の直後の

 

「十念」は、その「願い」を込めて称えます。

 

「本誓偈(ほんぜいげ)」は

 

「極楽へ往き、覚りを得られますように」

 

という願いを込める回向文です。

 

この「本誓偈(ほんぜいげ)」は

 

善導大師(ぜんどうだいし)の

 

『観経疏(かんぎょうしょ)』冒頭の

 

十四行にわたる文章の中から抜粋した一文です。

 

とにかく極楽へ往きたいので、

 

今まで多少なりとも積んできた功徳を

 

全部極楽往きのために集めて、

 

「どうか極楽へ往かせてください!

 

そして速く覚りを得させてください!」

 

という願いを込めて唱えます。

 

「え?!極楽なんて往きたくないんですけど・・・」

 

という方もおられるでしょう。

 

しかし繰り返し述べますように、

 

我々が今いる娑婆(しゃば)世界は

 

「思い通りにならない」世界です。

 

「娑婆(しゃば)」は漢訳では「忍土(にんど)」

 

とされ、「耐え忍ぶところ」という意味を持ちます。

 

この世界に執着(しゅうじゃく)していると、

 

いつまでも苦しみを繰り返すままになってしまいます。

 

対して「極楽浄土」は文字通り

 

「究極の楽土(らくど)」です。

 

あらゆる苦しみ、悩み、痛みがなく、諸々の楽だけを

 

受けるから極楽というのだ、と『阿弥陀経』に

 

記されています。

 

そこに往くためには

 

「極楽へ往きたい」と願って

 

「南無阿弥陀仏と称える」だけです。

 

極楽へ往けば、先に極楽へ往った方とも

 

間違いなく再会できます。

 

そして娑婆(しゃば)に残した愛しい人を

 

導くこともできます。

 

そのためには、あなたが極楽へ「往きたい」と願い、

 

「南無阿弥陀仏」と称えることが必要です。

 

それがあなたと愛しい人を真の幸せに誘う手段となります。

 

その「極楽へ」と思いを方向付けるのが

 

この「本誓偈(ほんぜいげ)」なのです。

真身観文(しんじんがんもん)④

 (本文) 仏身(ぶっしん)の高さ、六十万億(ろくじゅうまんのく) 那由他(なゆた)恒河沙由旬(ごうがしゃゆじゅん)なり。 (現代語訳) 阿弥陀仏の背の高さは、六十万億(ろくじゅうまんのく) 那由他(なゆた)恒河沙由旬(ごうがしゃゆじゅん)です。 (解説) 次に阿弥陀さまの背の高...