2020年9月22日火曜日

浄土宗のおつとめ⑯(開経偈〈かいきょうげ〉その二)

多くの方は「不思議なご縁で仏教と出会った」という

 

感覚はないと思います。

 

「先祖代々のつきあい」「たまたま」「嫁ぎ先のご縁」

 

私などは「たまたま生まれた先が浄土宗のお寺だった」

 

と思っていました。

 

しかしそうではありません。

 

このことにつきましては「お念仏と出会うということ」

 

というシリーズでお伝えしましたので、

 

そちらをご覧下さい。

 

「お念仏と出会うということ」https://hourinji.blogspot.com/search/label/%E6%B5%84%E5%9C%9F%E5%AE%97%E3%81%AE%E6%95%99%E3%81%88%E7%AC%AC2%E9%83%A8%E3%80%80%E5%BF%B5%E4%BB%8F%E3%81%A8%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%86%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8

 

今、実はとても不思議なご縁によって、

 

仏教のみ教えと出会い、教えを聞く機会を得たのですから、

 

どうぞ「本気で」向き合っていただきたいと願うばかりです。

 

この「開経偈」を唱えて、

 

浄土宗の私たちは

 

『浄土三部経(じょうどさんぶきょう)』を開いて

 

「これから教えを聞かせていただくのだ」と

 

心を向けていくのです。

2020年9月21日月曜日

浄土宗のおつとめ⑮(開経偈〈かいきょうげ〉その一)

今までは序章、ここからは本章にあたるところです。

 

(本文)

 

無上甚深微妙法

 

(む じょうじんじん みょうほう)

 

百千万劫難遭遇

 

(ひゃくせんまんごうなんそうぐう)

 

我今見聞得受持

 

(がこんけんもんとくじゅじ)

 

願解如来真実義

 

(がんげにょらいしんじつぎ)

 

 

 

(書き下し)

 

無上甚深微妙(むじょうじんじんみみょう)の法は、

 

百千万劫(ひゃくせんまんごう)にも

 

遭(あ)い遇(あ)うこと難(かた)し。

 

われ今、見聞(けんもん)し

 

受持(じゅじ)することを得たり。

 

ねがわくは如来(みょらい)の

 

真実義(しんじつぎ)を解(げ)したてまつらん。

 

 

 

(現代語訳)

 

この上なく深くすぐれたみ教えには

 

とてつもなく長い年月を経たとしても

 

出会うことは難しいのです。

 

私は今、そのみ教えを受け取ることができました。

 

仏さまが説かれる真実の意味を

 

心の底から解りたいと願います。

2020年9月20日日曜日

浄土宗のおつとめ⑭(懺悔偈〈さんげげ〉その七)

「懺悔偈(さんげげ)」の直後に

 

「十念(じゅうねん)」を称えます。

 

「十念(じゅうねん)」とは

 

十遍「南無阿弥陀仏」を称えることです。

 

一般的に「念」という言葉は「念じる」などというように

 

「思う」ことを表します。

 

しかし私たち浄土宗は、

 

「善導大師(ぜんどうだいし)」と「法然上人」の

 

お示しにより、「念」=「声」と理解します。

 

「念は声」なのです。

 

つまり「十念」は「南無阿弥陀仏」を「声に出して」

 

十遍称えることをいいます。

 

「なむあみだぶ」と八遍称え

 

(途中息が続かなければ四遍で区切るのも可)、

 

九遍目のみ「なむあみだぶつ」と「つ」まで称え、

 

十遍目は「なーむあみだぶ」と称えます。

 

その際には「阿弥陀さまのお顔」を

 

しっかりと拝んで「どうか阿弥陀さま、

 

私の心の奥の奥までご覧になってください」

 

と懺悔(さんげ)する思いでお称えください。

2020年9月19日土曜日

浄土宗のおつとめ⑬(懺悔偈〈さんげげ〉その六)

お経の中に

 

「一人(いちにん)一日(いちにち)の中(うち)に

 

八億四千(はちおくしせん)の念あり。

 

念念(ねんねん)の中(なか)の所作(しょさ)

 

皆(みな)これ、三途(さんず)の業(ごう)なり」

 

という言葉が出てきます。

 

「人が一人一日を過ごす間にはものすごい早さで

 

心が揺れ動いています。

 

その心の動きは八億四千にも上るといいます。

 

その一瞬一瞬の心の行いは

 

すべて地獄・餓鬼・畜生へ行かざるを得ないような

 

行いばかりです」というのです。

 

恐ろしいことです。

 

毎日、自分が気づかない内に犯している

 

地獄・餓鬼・畜生行きの行いを懺悔し、

 

お念仏を称えて過ごしましょう。

 

告白したら、もう「貪瞋痴(とんじんち)」による

 

悪い行いがストップするのであればいいのですが、

 

そんなことはありません。

 

告白した次の瞬間に、欲ばり、怒り、自己中心的な

 

行いをまた繰り返してしまいます。

 

だから日常勤行は毎日行うのです。

2020年9月18日金曜日

浄土宗のおつとめ⑫(懺悔偈〈さんげげ〉その五)

私は毎朝本堂でこの「日常勤行(にちじょうごんぎょう)」

 

を勤めます。

 

この「懺悔偈(さんげげ)」や

 

後にお伝えする「念仏一会(ねんぶついちえ)」の際に

 

お念仏を称えながら、

 

「阿弥陀さま、私の心の中をご覧ください」

 

と意識します。

 

変な表現ですが、私の胸からお腹にかけて、

 

チャックがついていて、それをジーッと開けるような

 

イメージをします。

 

「私の腹の底まで」オープンにして

 

「阿弥陀さまに診察してもらう」というイメージです。

 

阿弥陀さまは私が知らない私も知って下さっています。

 

私は自分のことを「いい人」だと思いたいので、

 

嫌なところを隠します。

 

「あれはあの人が悪いんや。ぼくは悪くない」

 

「こんなことは誰でもしてることや。」

 

などと自己弁護します。

 

でも阿弥陀さまは自己弁護している

 

心の奥をご覧になりますし、

 

更には自分で善いことをしているつもりでも、

 

人を傷つけたりしている、

 

それに気づかずに自己満足している

 

愚かな私も知ってくださっています。

 

こう言っては身も蓋もありませんが、

 

私たちは「私利私欲」のために生きています。

 

日常の思いや行動、言動はほぼすべて

 

「我が身、我がため」と言っても過言ではありません。

 

ですから懺悔(さんげ)を朝するのがキモなのです。

 

朝、自分の心の中を阿弥陀さまにご覧頂き、

 

「あかんなあ」と自分で認識します。

 

そんな風にして自分の嫌なところを直視したら、

 

落ち込んで一日暗くなるのかというと、

 

実はそうではありません。

 

本堂でお勤めして「あかん」自分を直視して、

 

本堂から茶の間に降りてくると、

 

いつまでも寝室から出てこない

 

息子達にイライラしてくる。

 

「早よ起きなさい!いつまでもダラダラして!」

 

その後、車に乗ってお参りに出かける途中、

 

他の車が割り込んできたら、

 

「もう!急いでんのに!」と腹を立てる。

 

そうです。

 

人格は何にもよくなっていません。

 

今朝、阿弥陀さまの前で、

 

「あかんなあ」と自らの心の闇を明らかにしたけれど、

 

人格的には全く何にもよくなっていないのです。

 

「それじゃ意味がないよ!?」

 

と思われるかもしれません。

 

でもそんなことはありません。

 

「あ!さっき阿弥陀さまの前で

 

自分の嫌なところをさらけ出したのに、

 

もうイライラしてる!」という自分に気づくのです。

 

欲ばりな心や腹立ちの心に傾いている

 

自分に気づきやすいのです。

 

そうすると「あかん、あかん」とリセットできます。

 

朝にそれをやっていないと、イライラしたり欲張っても

 

気づかないのでリセットすることを忘れてしまいます。

 

この朝のお勤めの中で

 

「阿弥陀さま、心の中をご覧下さい」

 

と阿弥陀さまにさらけ出すことをオススメします。

 

5分でも10分でもやれば違います。

 

いい人になるのではなく、自分の一日が楽になります。

 

毎朝、阿弥陀さまに告白し、

 

「診察」していただきましょう。

浄土宗のおつとめ⑯(開経偈〈かいきょうげ〉その二)

多くの方は「不思議なご縁で仏教と出会った」という   感覚はないと思います。   「先祖代々のつきあい」「たまたま」「嫁ぎ先のご縁」   私などは「たまたま生まれた先が浄土宗のお寺だった」   と思っていました。   しかしそうではありませ...