2021年4月13日火曜日

真身観文(しんじんがんもん)④

 (本文)


仏身(ぶっしん)の高さ、六十万億(ろくじゅうまんのく)


那由他(なゆた)恒河沙由旬(ごうがしゃゆじゅん)なり。




(現代語訳)


阿弥陀仏の背の高さは、六十万億(ろくじゅうまんのく)


那由他(なゆた)恒河沙由旬(ごうがしゃゆじゅん)です。





(解説)


次に阿弥陀さまの背の高さです。


阿弥陀さまの身長は


六十万億那由他恒河沙由旬


(ろくじゅうまんのくなゆたごうがしゃゆじゅん)


と説かれています。


由旬(ゆじゅん)はサンスクリット語のヨジヤナの


音訳で、距離の単位を示します。


一由旬は約7キロメートルです。


那由他(なゆた)もサンスクリット語の音写で、


数の単位を表す言葉です。


恒河沙(ごうがしゃ)はガンジス川の砂の数ですから、


無数を表します。


ということは、六十万億那由他恒河沙由旬は


もはや数字で表すことができないほど大きいことを


示しているといえます。


お経にはこのように、とんでもない高さや大きさが


表現されることがしばしばあります。


このような表現はそもそも、


世俗の単位や価値観によるものですから、


覚りの世界の価値観とは異なるはずです。


しかしながら、覚っていない凡夫に、


覚りの世界を紹介しても理解できません。


だから「仮に俗世間の価値観でいうならば、


こんなに大きいのだよ」と表現せざるを得ないのです。


数えることのできない数量を説いて、


仏の偉大さを表しているのだとお受け取りください。


2021年4月12日月曜日

真身観文(しんじんがんもん)③

 (本文)


阿難(あなん)まさに知るべし。


無量寿仏(むりょうじゅぶつ)の身(しん)は、


百千万億(ひゃくせんまんのく)の夜摩天(やまてん)の


閻浮檀金(えんぶだんごん)の色(いろ)のごとし。




(現代語訳)


阿難(あなん)よ、以下のことを知るべきです。


阿弥陀仏のお身体の色は、百千万億もの


夜摩天(やまてん)にある閻浮檀金(えんぶだんごん)の


色のようです。





(解説)


まずは「阿弥陀さまの色」です。


阿弥陀さまは、百千万億夜摩天(やまてん)にある、


閻浮檀金(えんぶだんごん)という、


最上なる金色を百千万億合わせたほどの


金色に輝いていると説かれています。


私たちの世界には肌の色が白い人々、黒い人々、


黄色い人々などがいて、差別や区別が行われています。


極楽浄土に生まれた人はみんな金色に輝いています。


金は色あせたり変色することがありません。


ですから不変の色として、


阿弥陀仏も極楽に生まれた方々も等しく


金色に輝いておられるのです。


2021年4月11日日曜日

真身観文(しんじんがんもん)②

 (本文)


仏、阿難(あなん)および韋提希(いだいけ)に


告げたまわく。


この想(そう)成(じょう)じおわりなば、


次にまさにさらに無量寿仏(むりょうじゅぶつ)の


身相光明(しんそうこうみょう)を観ずべし。




(現代語訳)


お釈迦さまは阿難(あなん)と韋提希(いだいけ)に


このようにお話しなさいました。


この観想(かんそう)ができたなら、


次には阿弥陀仏のお身体の特徴と光明を観るべきです。


※この観想…観無量寿経で真身観文の直前に説かれる

 像想観(ぞうそうかん)という観想のこと





(解説)


「真身観(しんじんかん)」は別に


「仏身観(ぶっしんがん)」ともいいます。


阿弥陀仏のお身体の特徴と、阿弥陀仏から放たれる


慈悲の光を思い浮かべてみましょう。


2021年4月10日土曜日

真身観文(しんじんがんもん)①

今日から「真身観文(しんじんがんもん)」


について、お伝えしてまいります。


浄土宗のおつとめでもよく読まれるお経です。


「真身観文(しんじんがんもん)」は、


浄土三部経の一つ、『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』に


所収されているお経です。


『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』の内容は


「瞑想して極楽や阿弥陀仏、観音勢至菩薩を


観る」という修行を説くことが大半を占めています。


それにも関わらず、一番最後に釈尊が


「でもそんな難しい修行ができない者は


南無阿弥陀仏と念仏を称えて阿弥陀仏に救いを求めよ。


そしてその教えを末代まで届けてくれよ」と


お説きになるという大逆転のお経です。


『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』の


「下品下生(げほんげしょう)」から最後までは


以前上げましたので、そちらをご覧ください。



下品下生

https://hourinji.blogspot.com/search/label/%E4%B8%8B%E5%93%81%E4%B8%8B%E7%94%9F%EF%BC%88%E3%81%92%E3%81%BB%E3%82%93%E3%81%92%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%EF%BC%89



では、念仏以外の瞑想修行(観法、観想、観念などといいます)


は必要ないのか?というと決してそんなことはありません。


浄土宗の教えは、「極楽浄土への往生を願い、


阿弥陀仏にすがって、南無阿弥陀仏と念仏を称える」


というものです。


その願うべき極楽浄土がどういう所なのか、


すがるべき阿弥陀仏がどんな仏さまなのかが


全く不明であったら、願いようもすがりようもありません。


実際に瞑想して極楽浄土や阿弥陀仏を目の当たりに


観ることは至難の業ですが、「こんなところなのか」と


イメージして欣慕することは大切なことです。



観察正行

https://hourinji.blogspot.com/2020/12/blog-post.html



今回のテーマである「真身観文(しんじんがんもん)」は、


「阿弥陀仏とはどんな仏さまなのか」が


説かれる箇所です。


「こんな素晴らしい仏さまなのか」と


イメージしていただき、信仰の糧に


していただきたいと思います。


2021年4月9日金曜日

一枚起請文⑫ 滅後(めつご)の邪義(じゃぎ)

本文

「滅後(めつご)の邪義(じゃぎ)を

ふせがんがために所存を記し畢(おわん)ぬ」

 

現代語訳

「私亡き後の誤った理解を防ぐために、

思うところを記し終わりました」

 

 

 

この文が記される「一枚起請文」は、

 

法然上人の臨終間際に、

 

源智(げんち)上人に授けられた

 

ご遺訓(ゆいくん)です。

 

法然上人という柱を失うお弟子達は、

 

「これから自分勝手な教えを吹聴する者が

 

出てきた時に、正すことができるだろうか」と

 

不安だったことでしょう。

 

事実法然上人ご存命の間にも、

 

「たった一度だけ念仏を称えさえすればよい」とか、

 

「念仏は多ければ多いほどよい」、

 

あるいは「どんな悪人でも救われるのなら、

 

どんどん悪いことをしてやろう」などという

 

勝手な教えを広める者が後を絶ちませんでした。

 

彼らの言動も法然上人が晩年、讃岐に流された大きな理由の一つです。

 

法然上人は、「浄土三部経(じょうどさんぶきょう)」と

 

善導大師の教えをきっちりと受け取って、

 

確信を持って浄土宗を開かれました。

 

自分に都合よく適当な解釈を採用するのは、

 

仏教の教えから離れてしまいます。

 

阿弥陀さまの本願を根拠に、

 

「南無阿弥陀仏と称えれば必ず極楽浄土へ往生できる」

 

と信じ、ただひたすら「南無阿弥陀仏」と称える。

 

浄土宗の教えは、このようなシンプルかつ

 

仏の御心に適う教えだということを、

 

法然上人は最期にお弟子達に確認されたのでした。

 

末代の弟子である私たちも、

 

この法然上人の教えをしっかと受け取り、

 

ただ一向に念仏していきたいものです。

 

(一枚起請文の項終わる)

2021年4月8日木曜日

一枚起請文⑪ これ以外になし

原文

「源空(げんくう)が所存、この外に全く別義を存ぜず」

 

現代語訳

「〈私〉源空(げんくう)の考えは、これ以外に

全く特別なことはございません」

 

法然上人に

 

「津の戸三郎為守(つのとのさぶろうためもり)」さま

 

というお弟子がおられました。

(以下「津の戸三郎」と表記します)

 

津の戸三郎(つのとのさぶろう)さまは、

 

鎌倉幕府の御家人、つまり武士です。

 

奈良の東大寺が、源平の争いの際に

 

平重衡(たいらのしげひら)公によって

 

焼き討ちされました。

 

その再建に法然上人のお念仏信仰の同志である

 

俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)上人が

 

勧進(かんじん)役としてご尽力なさいました。

 

勧進(かんじん)とは、寄付集め等の重要な役割です。

 

いよいよ東大寺が再建されて

 

大仏さまの開眼(かいげん)法要を

 

勤めることになり、鎌倉からも

 

多くの武士がやってきました。

 

津の戸三郎(つのとのさぶろう)さまも

 

その中のお一人でした。

 

奈良までやってきたのだから、

 

名高い法然上人を訪ねようと思って

 

京都へ向かい、お念仏のみ教えと出会われます。

 

お伝記には「合戦の罪を懺悔(さんげ)して」

 

と記されています。

 

嫌でも戦をしなくてはならない武士の身です。

 

殺生をせざるを得ないのです。

 

それを「仕方がない」と開き直らないのが

 

ありがたいと思います。

 

「恐ろしいことをしている」という

 

自覚を持っておられたのです。

 

当時多くの武士達が

 

津の戸三郎(つのとのさぶろう)さまと同様、

 

自らの罪を恐れて

 

法然上人の元に集まってこられました。

 

当時の武士は江戸時代と違い、

 

一般には、必ずしも身分が高いと

 

認識されていなかったようです。

 

また、学問ができる武士というのはごく一部であり、

 

殆どの武士には教養がありませんでした。

 

そして武士自身がそのことを自覚し、

 

コンプレックスを持っていたようです。

 

津の戸三郎(つのとのさぶろう)さまは、

 

法然上人から、直接お念仏の尊いみ教えを聞き、

 

「この私が救われるのか!」と

 

喜んで関東へ帰られました。

 

関東で念仏を称えていますと、

 

よからぬ噂が聞こえてきました。

 

「津の戸三郎(つのとのさぶろう)は

 

無教養な人間だから、

 

法然上人も念仏を称えるだけで救われるという

 

簡単な教えを説かれたのだ。

 

教養がある人にはもっと深い教えを説かれるのだ」

 

というのです。

 

このように言われますと、

 

人によると腹を立てることもあるでしょう。

 

しかし津の戸三郎(つのとのさぶろう)さまは

 

真面目な方です。

 

心ない噂話をまっすぐに受け止め、


「もしかしたらそうかも知れない」と思われました。

 

悩んだ津の戸三郎(つのとのさぶろう)さまは、


法然上人に

 

「こんなことを言われたのですが本当でしょうか?」

 

とお手紙をしたためて尋ねられました。

 

それに対して法然上人が

 

津の戸の三郎(つのとのさぶろう)さまへ

 

送られたご返事も今に伝えられています。

 

法然上人は

 

「そのような不信の者の言うことに惑わされず、

 

しっかりと信心を持ちなさいよ」と励まされました。

 

津の戸三郎(つのとのさぶろう)さまは、

 

法然上人の励ましによって、

 

今まで以上にお念仏に励まれるようになりました。

 

お念仏は阿弥陀さまが選ばれた行です。

 

「称えれば極楽へ迎え取る」と

 

阿弥陀さまご自身が誓われているのです。

 

簡単な行でありながら、

 

凡夫(ぼんぶ)を救う、最も勝れた行だといえます。

 

簡単であるが故に、ついつい深読みして、

 

「もっと難しいことをやらないといけないのでは?」

 

と思ってしまいがちです。

 

そうではなく、「ただ願って称えるだけ」で

 

極楽浄土に往けます。

 

他に何も難しいことは隠されていないのです。 

真身観文(しんじんがんもん)④

 (本文) 仏身(ぶっしん)の高さ、六十万億(ろくじゅうまんのく) 那由他(なゆた)恒河沙由旬(ごうがしゃゆじゅん)なり。 (現代語訳) 阿弥陀仏の背の高さは、六十万億(ろくじゅうまんのく) 那由他(なゆた)恒河沙由旬(ごうがしゃゆじゅん)です。 (解説) 次に阿弥陀さまの背の高...