2020年10月23日金曜日

四誓偈(しせいげ)⑩

(本文) 

 供養一切仏(くよういっさいぶつ) 

 具足衆徳本(ぐそくしゅくどく)

 願慧悉成満(がんねしつじょうまん)

 得為三界雄(とくいさんがいおう) 

 如仏無礙智(にょぶつむげち)  

 通達靡不照(つうだつみふしょう) 


 (書き下し)

 一切の仏を供養し 諸々の徳本を具足し   

願慧悉く成満して 

三界の雄となることを得たまえり 

 仏の無礙智の如きは  

 通達して照らしたまわずということなし 



 (現代語訳) 

 一切の仏に供養し、多くの功徳を積んで、

 誓願と智慧とをすべて成就され、 

 すべての世界の英雄となられました。 

 仏のすぐれた智慧はすべてに至って 照らさない所はありません。 




 世自在王仏(せじざいおうぶつ)も 菩薩(ぼさつ)として

修行された 時代がありました。 

 その時におられた他の仏に供養し、 布施し、戒を守り、

苦難を耐え忍び、 怠らず、心を静かにとどめて、 

 覚りの智慧を得たのです。

 ここまでが法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)から  

世自在王仏(せじざいおうぶつ)への讃辞です。

2020年10月22日木曜日

四誓偈(しせいげ)⑨

(本文) 

 為衆開法蔵(ししゅうかいほうぞう) 

 広施功徳宝(こうせくどくほう) 

 常於大衆中(じょうおだいしゅうじゅう) 

 説法師子吼(せっぽうししく) 


 (書き下し)

 衆のために法蔵を開きて 

広く功徳の宝を施し  

 常に大衆の中において 

説法獅子吼したまう 


 (現代語訳) 

 また人々のために法の藏を開いて、

広く功徳のある教えを すべての者に与えて、

いつも多くの人々の中で、 

 まるで獅子が吠えるような気高い声で、 

 法を説かれます。 




 仏はすべての法を納めておられるので、 

 それを「法蔵(ほうぞう)」といいます。 

 その「法蔵」から「智慧に貧しき者」へ 

 法を施してくださるのです。 

 獅子が吠えると、どんな生き物にも聞こえます。

 遠いところまでその声は届くといいます。 

 仏の説法もそれと同じく、普く響き渡るのです。 

 法輪寺の先々代、三浦義修上人のお戒名は 

 「仁蓮社徳譽徹阿獅子吼義修大和尚  
(にんれんじゃとくよてつあししくぎしゅうだいかしょう)」 です。

  三浦上人は布教師として各地で法を説いておられましたので、 

このようなお名前を授かられたのでしょう。 

平成の大布教師、羽田恵三上人にも同じく

「獅子吼」が お戒名に含まれています。

2020年10月21日水曜日

四誓偈(しせいげ)⑧

(本文) 

 功祚成満足(くそじょうまんぞく) 

 威曜朗十方(いようろうじっぽう) 

 日月戢重暉(にちがつしゅうじゅうき) 

 天光隠不現(てんこうおんぷげん) 


 (書き下し) 

 功祚満足することを成じて 

威曜十方に朗らかなり  

 日月重暉を戢(おさ)め 

天光も隠れて現ぜず 


 (現代語訳)

 仏の功徳は完成して、その功徳を表す光は 

 あらゆる方向へといきわたります。 

 その光があまりに明るいので、

太陽も月も そのなりをひそめて、

天界の光さえも 隠れてしまうほどです。 




 世自在王仏(せじざいおうぶつ)は 

 仏としての修行を完全に達成されたので、

 自らはあらゆる苦しみ迷いから解き放たれて おられます。  

そして人々を救うためにあらゆるところを照らして くださいます。 

「自らのために」することを「自利(じり)」といい、 

「他者のために」することを「利他(りた)」といいます。

 その理想の姿が描かれています。

2020年10月20日火曜日

四誓偈(しせいげ)⑦

(本文)
 
開彼智慧眼(かいひちえげん) 
 
滅此昏盲闇(めっしこんもうあん) 
 
閉塞諸悪道(へいそくしょあくどう) 

 通達善趣門(つうだつぜんじゅもん) 


(書き下し) 
 
彼の智慧の眼を開きて この昏盲の闇を滅し 
 
諸々の悪道を閉塞して 善趣の門に通達せしめ 


 (現代語訳) 

 智慧の眼を開いて、煩悩の暗闇をなくし、 

多くの悪しき世界を閉じ、善き世界に導いてくださいます。 



 法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)の 仏への讃辞はまだ続きます。  

仏が智慧の眼を開くと、 煩悩を消し去ってくださいます。  

ですから仏がおられる世界では苦しみが消え去るのです。 

仏の力によって、地獄・餓鬼・畜生といった 

 苦しみに満ちた世界は閉じられ、 

 そのような苦しみの世界にいた者たちは 

 善き世界へと誘われてゆきます。 

 法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)が 目標とする素晴らしい仏が

 世自在王仏(せじざいおうぶつ)なのです。

2020年10月19日月曜日

四誓偈(しせいげ)⑥

(本文) 

 神力演大光(じんりきえんだいこう) 

 普照無際土(ふしょうむさいど) 

 消除三垢冥(しょうじょさんくみょう) 

 広済衆厄難(こうさいしゅやくなん) 

 
(書き下し)

 神力大光を演べ あまねく無際の土を照らし  

三垢のやみを消除して 広く諸々の厄難をすくい 

 

(現代語訳) 

仏は計り知れない力で大いなる光を放ち、 

 すべての土地をくまなく照らし、 

 三つの煩悩の闇を消し去って、 

 多くの厄難に苦しみ人々をお救いになります。 



 ここからは「法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)」が 

 「世自在王仏(せじざいおうぶつ)」のような 

 素晴らしい仏になりたい!と、 その仏を讃えるくだりです。  

「神力(じんりき)」というのは、

仏が人々を救う 大いなる力で、それは「光」として表現されます。 

その「救いの光」はあらゆるところを隅々まで 照らしてくださっています。

 そして仏は、私たちの欲ばりの心、怒りの心、 真理がわからない愚かな心、  

これらの自分を苦しめる煩悩を消し去ってくださいます。 

 そのことによって、 煩悩によって行われるはずであった、 

 悪い行いを防ぎ、 報いとして受けるはずであった、  

様々な厄難をも消し去ってくださるのです。 

 「そんな力が具わる仏になりたい」

と 法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)は 

 世自在王仏(せじざいおうぶつ)に憧れて 讃えるのです。

2020年10月18日日曜日

四誓偈(しせいげ)⑤

(本文)

 

離欲深正念(りよくじんしょうねん)

 

浄慧修梵行(じょうえしゅぼんぎょう)

 

志求無上道(しぐむじょうどう)

 

為諸天人師(いしょてんにんし)

 

 

 

 

 

(書き下し)

 

離欲と深正念と 浄慧との修梵行をもって 

 

無上道を志求して 諸々の天人師とならん

 

 

 

 

 

(現代語訳)

 

六波羅蜜の行をして、「覚りの道」を求めて

 

多くの人々のために、仏となりたいと願います。

 

 

 

「仏になるための修行をする者」を

 

「菩薩(ぼさつ)」といいます。

 

その「菩薩(ぼさつ)」がする修行は

 

「布施(ふせ)」「持戒(じかい)」「忍辱(にんにく)」

 

「精進(しょうじん)」「禅定(ぜんじょう)」

 

「智慧(ちえ)」の六つあります。

 

これを「六波羅蜜(ろくはらみつ)」といいます。

 

「布施(ふせ)」は自らの欲望を断つために

 

自分の物を他者に施します。

 

この「布施(ふせ)」に「財施(ざいせ)」と

 

「法施(ほうせ)」の二種あることは先に書きました。

 

URL

 

「持戒(じかい)」は仏教徒としての「良き習慣」である

 

「戒(かい)」に従って生活することです。

 

「忍辱(にんにく)」は、

 

「あらゆる苦しみを耐え忍ぶこと」です。

 

「精進(しょうじん)」は「仏道修行に邁進すること」です。

 

「禅定(ぜんじょう)」は「

 

智慧を得るために精神を集中させること」です。

 

「智慧(ちえ)」は「仏となる覚りの智慧を得ること」です。

 

この内の「布施(ふせ)」「持戒(じかい)」

 

「忍辱(にんにく)」の三つが

 

「四誓偈(しせいげ)」本文の「離欲(りよく)」です。

 

「禅定(ぜんじょう)」が

 

本文の「深正念(じんしょうねん)」に相当します。

 

そして「智慧(ちえ)」が本文の

 

「浄慧(じょうえ)」に当たります。

 

これらを「精進(しょうじん)」して

 

修行することを「修梵行(しゅぼんぎょう)」といいます。

 

さて、仏さまには十の敬称があり、

 

それを「十号(じゅうごう)」といいます。

 

その内の九番目が「天人師(てんにんし)」で、

 

「天の神々と人々の師たる存在」という意味です。

 

ここまでが、「法蔵菩薩の誓い」です。

2020年10月17日土曜日

四誓偈(しせいげ)④

(本文)

 

我至成仏道(がしじょうぶつどう)

 

名声超十方(みょうしょうちょうじっぽう)

 

究竟靡不聞(くきょうみしょうもん)

 

誓不成正覚(せいふじょうしょうがく)

 

 

 

 

 

(書き下し)

 

我れ仏道を成ずるに至らば 名声十方に超えん

 

究竟して聞ゆる所なくんば 誓って正覚を成ぜじ

 

 

 

 

 

(現代語訳)

 

私が仏道を完遂して仏になったならば、

 

私の名声があらゆる世界に聞こえて、

 

それが隅々まで行き渡りますように。

 

もしそれができなければ、誓って仏にはなりません。

 

 

 

「名声が世界中に行き渡りますように!」と言うと、

 

「名誉欲があるの?!」と思われるかもしれません。

 

でもそんなはずはないですよね。

 

せっかく「仏になってすべての人々を救いたい」と

 

思っても、誰もその仏の存在を知らなければ、

 

救われようがありません。

 

「名声が世界中に行き渡る」ということは

 

「救いが行き渡る」ことと同義です。

四誓偈(しせいげ)⑩

(本文)   供養一切仏(くよういっさいぶつ)   具足衆徳本(ぐそくしゅくどく)  願慧悉成満(がんねしつじょうまん)  得為三界雄(とくいさんがいおう)   如仏無礙智(にょぶつむげち)    通達靡不照(つうだつみふしょう)   (書き下し)  一切の仏を供養し 諸々の徳本...