2020年8月31日月曜日

所求・所帰・去行⑤(十悪 殺生その一)

十悪とは、十種の悪い行いのことです。

 

「殺生」「盗み」「不倫」「人を騙す」

 

「二枚舌を使って人を争わせる」「人を罵る」

 

「おべんちゃらを言う」「限りなくむさぼる」

 

「気にくわないことがあると怒る」

 

「真理に逆らって正しくものごとを見ることができない」

 

という十種です。

 

このような行いをした者は死後、

 

「地獄・餓鬼・畜生」へ生まれるといいます。

 

そのような代表的な「悪い行い」なのですが、

 

実は私たちの日常でもあります。

 

「いえいえ、そんなことをした覚えはありません」と

 

おっしゃる方がおられるでしょうか。

 

私たちは殺生せずに生きていくことはできません。

 

自らの手で殺生していなくとも、

 

たくさんの生き物の命をいただきながら、

 

その自覚もないまま、時には舌鼓を打ち、

 

時には不満を言い、粗末に扱うようなことは

 

していないでしょうか。

 

「まさか人殺しまではしないでしょう」

 

と思いたいのですが、自分の心の中を

 

深く深く覗いてみたらいかがでしょう。

 

人生の中では、時に憎い憎い人と出会うこともあります。

 

忘れたいのにその人のことが頭から離れず、

 

イライラしたり、それが高まると

 

「あんなヤツ死ねばいいのに!」と

 

口走ったり、心で繰り返し思うことはありませんか?

 

これを恐ろしい言葉ですが「呪い」といいます。

 

今は「そんなことをするはずはない」と

 

思っていても、相手にひどいことを言われたり、

 

社会に追い詰められた時に、

 

どうなってしまうのかはわかりません。

 

犯罪者の多くが衝動的に犯行に

 

及んでいるように、きっかけがあれば、

 

あるいは悪い条件が整えば、

 

人は恐ろしいことを行うことがあるのです。

 

新聞やニュースに出てくる犯罪者を

 

批判する私たちも、実は彼ら彼女らと同じ

 

「煩悩」という種を持っているのです。

 


2020年8月30日日曜日

所求・所帰・去行⑥(十悪 殺生その二)

映画監督であり漫才師の北野武氏が

 

『新しい道徳』という著書の中で

 

このようにおっしゃっています。

 

 

《食い物っていうけれど、それは他の生き物の命だ。豚や牛はもちろんだけど、魚だって、いや稲だって、菜っ葉だって、それは元はと言えば生きていた。食い物は他の生き物の命そのものだ。どんなに科学が進歩しようが、それは変わらない。

人は他の生き物を殺して生きている。そんなことは誰でも知っているというかもしれない。

けれど、その認識が本当にあれば、自分の目の前に置かれた食い物に対して、そんなに簡単に旨いとか不味いとか言えるものではない。

俺の母親が、食べ物の旨い不味いをいうのは下品だといったのは、そういう意味もあったんだろうと今は思っている。

昔の人は偉かった。だけどそれは、彼らが俺たちより優れていたからではなく、食い物が今よりもずっと貴重で、そして身近にあったからだろう。鶏肉を食うには、鶏を殺して羽根をむしらなくてはいけない。豚肉を食うには、豚を殺して解体しなくてはいけない。そういう現場が人々の身近にあった。

生き物を殺してそれを喰っているという実感をみんなが持っていた。

自分の手の中で鶏の命が消えていくのを経験すれば、どんな人間だって、食べるということにもう少しは謙虚になるはずだ。

だけど今や肉や魚はスーパーの棚に並んだモノでしかなくなってしまった。そういう意味で現代人は道徳的に堕落している。

いや、ずっと昔から人間は堕落していたのかもしれないけれど、その堕落に歯止めがかからなくなってしまった。自分たちの欲のままに、ほんの少しの便利のために、膨大な面積の森を切り開いたり、石油を掘り尽くしたりしているのはそのせいだと思う。

そういう大きな問題には目をつぶって、挨拶をしようとか礼儀正しくしようなんて、考えてみれば些末な問題を道徳だなんていっているわけだ。

アフリカで飢餓に苦しんでいる子どもたちが、日本の道徳の教科書を見たら、きっとよく理解できないんじゃないだろうか。

それとも平和な日本を羨ましく思うのだろうか。

様々な問題はあるけれど、日本で暮らす俺たちは、世界標準で見ればあり得ないくらい、平和で幸福な日々を生きている。

子供達に教えなければいけないのは、まずそういうことだと思う。その幸福が、どういう犠牲の上に乗っているかをよく考えもせずに、道徳を語ってはいけない。

食事をする前に「いただきます」ということを教えるだけではなくて、その自分がいただくものがどういう風にして食卓に載ったのかをすべて見せたらいい。牛や豚がどうやって育てられ、殺され、肉になって、俺たちの「食事」になるのかを、話すだけではなくて実際にその目で見て経験させたらいい。

豚を飼ってそのことを子どもたちに教えようとした教師がいた。彼の考え方はとてもまっとうだと思う。残酷だという批判がたくさんあったらしいが、それは違う。

豚を殺すことを残酷というなら、人は残酷なことをしなければ生きられないのだ。そのことを隠して子供を育てる方がよほど残酷だと俺は思う。

本当のことを知れば、子供の心は動く。どう動くかは子供次第だ。

なぜそんなことをするのかと聞かれたら、自分なりの考えを伝えたらいい。泣く子もいるだろう。本を読む子供もいるだろう。動物を飼う子もいるかもしれない。そして子供は考える。その「考える習慣」をつけてやること以上の道徳教育はない、と俺は思う。》

 

 

我が身につまされる思いがいたします。


2020年8月29日土曜日

所求・所帰・去行⑦(十悪 盗み)

十悪の二つ目は「盗み」です。

 

「空き巣」「スリ」「置き引き」「万引き」

 

「ひったくり」いわゆる犯罪です。

 

実際にこのような罪を犯す人は

 

そう多くはいないかもしれません。

 

でも「人の物をうらやむ」ことはありませんか?

 

「あれ欲しい!」という物がある。

 

その欲しい物が無造作に置いてある。

 

周りには誰もいない。

 

誰も見ていない。

 

今これを自分が持ち去っても誰にも咎められない。

 

このような状況の時にもしかしたら

 

恐ろしい衝動が働くかもしれません。

 

多くの人はこのような状況の時にも、

 

その物を持ち去ることなく、

 

気持ちを抑えることでしょう。

 

しかし、もしあなたが、今日食べる物にも

 

困る状況だったらどうでしょうか。

 

「私はそんなことはしません!」と言えるのは

 

ある程度恵まれた環境にいる時だからなのでは

 

ないでしょうか。


2020年8月28日金曜日

所求・所帰・去行⑧(十悪 不倫)

「人のもの」を羨むのは人の持ち物だけではありません。

 

場合によっては配偶者がある人に

 

恋をしてしまうこともあるかもしれません。

 

テレビやネットを観ると、こんなに人は不倫をするのか、

 

と驚くばかりです。

 

言うまでもなく、不倫は自分の家庭も相手の家庭も

 

不幸にします。

 

しかし時には街を歩いていて自分の配偶者以外の人に

 

目を奪われることもあるでしょう。

 

善導大師は「目を上げて女人を見ず」と

 

おっしゃっています。

 

危うい方へ心が動くことを事前に

 

避けるためだと思われます。

 

まさか自分は不倫なんてしない!と言っても

 

心が動くことはあるでしょう。

 

「場合によっては不倫すらしてしまうかもしれない自分」

 

という想定をしておくのがよいでしょう。

 

「君子危うきに近寄らず」です。


2020年8月27日木曜日

所求・所帰・去行⑨(人を騙す)

嘘をついて人を騙すことです。

 

本当のことを言うと相手が傷つく場合などは

 

この限りではありません。

 

「自分がちょっと得するように」

 

「人より上に見えるように」

 

「見くびられないために」

 

というような、私たちには強烈な

 

「我欲(がよく)」が具わっています。

 

それを自覚してなるべくなるべく嘘をつかないように、

 

人を騙すことがないように、と注意する必要があります。

 

先の「殺生」「盗み」「不倫」と比べても

 

こちらに悪気もなく知らず知らずに行うことが多いのが

 

この「人を騙す」という行為かもしれません。

 

もしそうなら、それ自体が「癖」になっている、

 

ということでしょう。

 

十悪の一つが癖になっている、

 

というのが私たちなのでしょう。


2020年8月26日水曜日

所求・所帰・去行⑩(二枚舌・人を罵る・おべんちゃらを言う)

⑩十悪 二枚舌・人を罵る・おべんちゃらを言う

 

「二枚舌を使って人を争わせる」ことです。

 

あっちに行けばこっちのことを悪く言い、

 

こっちではあっちのことを悪く言う。

 

そのようなことはありませんか?

 

一種の処世術のように、日常的に、

 

大した悪気もなく行ってしまっている

 

かもしれません。

 

もしそれを自覚しても、「笑い話程度」に

 

考えていないでしょうか。

 

また、「人を罵る」のも十悪の一つです。

 

怒りにまかせて自分を抑えられなくなり、

 

人を罵ることはありませんか?

 

怒りは代表的な煩悩です。

 

煩悩に突き動かされて人は悪い行いをしてしまうのです。

 

人を罵った後は、後味も悪いでしょう。

 

人間関係が崩れてしまうことも多いでしょう。

 

人から嫌われる原因にもなるでしょう。

 

人を罵ってスッキリする、という人は

 

益々それを繰り返してしまうので、

 

余計に要注意です。

 

もう一つは「おべんちゃら」です。

 

「相手を気持ちよくさせるのだから別にいいじゃない」

 

と思われるかもしれません。

 

でも「おべんちゃら」は「嘘」です。

 

偽りの言葉で相手をその気にさせて、

 

相手の煩悩を刺激して失敗を誘うのが

 

よいはずはありません。

 

また「おべんちゃら」を言って、

 

自分の地位を高めようとしたり、

 

得をしようとする心が働いているとも言えます。

 

この「二枚舌」や「人を罵る」「おべんちゃらを言う」

 

などは、「そのぐらい誰でもやってるよ」と

 

思うようなことばかりではないでしょうか。

 

でもそれが代表的な悪い行い「十悪」なのです。

 

その「十悪」を「誰でもやってるよ」と

 

考えてしまう私たちが実は恐ろしいのです。


3月後半のことば

生きているうちに人を慈しもう 生きていれば、周りの人との摩擦を避けて通ることはできません。 ただその摩擦は、自分の行動・言動次第で弱められるものもあります。 もし仮にあなたが、常に他人を批判し、自分が正しいと信じて疑わない人であれば、その結果孤独になり、周りの人から避けられるよう...