2020年12月31日木曜日

四修(ししゅ)⑩ 無間修(むけんじゅ)その一

四修(ししゅ)の三つ目は

 

無間修(むけんじゅ)です。

 

「間無く」と書きますように、

 

お念仏を称え続ける生活です。

 

念仏信仰ができたら、ありがたいと思って

 

お念仏を称えるようになります。

 

でも時間が経ってくると、

 

段々疎かになってしまうのが常です。

 

そして、ついには称えなくなってしまう。

 

これでは念仏信仰があるとは言えません。

 

かといって、ずっとずっと一瞬の間もなく唱えよ、

 

と言われるととてもできそうにありません。

 

お念仏をすっかり忘れてしまうことなく、

 

維持するにはどうすればよいのでしょうか。

2020年12月30日水曜日

四修(ししゅ)⑪ 無間修(むけんじゅ)その二

皆さんの中には、散歩やジョギング、

 

あるいはゴルフを続けている、

 

という方もおられるでしょう。

 

ただ、続けているからといって、

 

まさか36524時間散歩やジョギング、

 

ゴルフをしているわけではないでしょう。

 

週に一度、月に一度であっても、

 

「続けていますか?」と問われたら

 

「はい、続けていますよ」とお答えになるでしょう。

 

この「無間修(むけんじゅ)」も、

 

いくら「間無く」、といっても

 

24時間ずっと唱えよというわけではありません。

 

「自分が続けていることを忘れない程度に」

 

続けることが大切です。

 

お念仏の場合は最低でも毎日称えましょう


散歩やジョギングなら一日おきでも

 

忘れないのかもしれません。

 

でも間を空けると気持ちが萎えることもありますよね?

 

お念仏は一日おきでは忘れてしまいます。

 

少なくとも毎日唱えていただきたいのです。

2020年12月29日火曜日

四修(ししゅ)⑫ 無間修(むけんじゅ)その三

「日課誓約(にっかせいやく)」という作法があります。

 

「毎日の日課に、お念仏を○○遍称えます」と

 

仏さまの前で誓うことです。

 

五重相伝(ごじゅうそうでん)という、

 

浄土宗信徒にお念仏のみ教えを「五つ重ねにして」

 

お伝えする法要があります。

 

その五重相伝(ごじゅうそうでん)を

 

受けた方には、たとえば日課「300遍」や「500遍」

 

毎日称えることを本尊さまの前で誓っていただきます。

 

「一日300遍なんて、とても無理!」と

 

思われるかもしれませんが、

 

実際にやり始めると、

 

大したことではないことがわかります。

 

300遍称えるのには5分もかかりません。

 

何よりも、毎日唱えていたら癖になります。

 

癖になれば、しめたものです。

 

歯を磨いたり、洗顔を忘れることがないように、

 

お念仏を称えないと、物足りなくなります。

 

日課誓約は最低限の数ですから、

 

それ以上、それ以上と毎日続けていただきたいのです。

 

毎日毎日念仏を続けていく。

 

これが無間修(むけんじゅ)です。

2020年12月28日月曜日

四修(ししゅ)⑬ 長時修(じょうじしゅ)その一

四修(ししゅ)の最後は

 

長時修(じょうじしゅ)です。

 

「お念仏を一生涯続けていく」ということです。

 

先の無間修(むけんじゅ)でも申し上げた通り、

 

中途でやめてしまったら何もなりません。

 

どうかお念仏を一生涯お称えいただきたいと思います。

 

一生涯というのは、お念仏の信仰を持った

 

その時から臨終のまでです。

 

20歳で信仰をもったら20歳から。

 

30歳ならば30歳から臨終まで。

 

20代にお念仏と出会った人と、

 

80代でお念仏と出会った人では

 

唱える期間は自ずと異なります。

 

当然80代で出会った人の方が短くなります。

 

しかしそれを問うものではありません。

 

たとえ臨終間際にお念仏と出会った人でも

 

そこから唱えればよいのです。

 

その期間の長短は問われません。

 

もし仮に途中で怠ってお念仏を忘れてしまったら、

 

それでは取り返しがつかないのかというと、

 

そうではありません。

 

また「やろう」という気持ちを起こして

 

改めてお念仏に取り組めばよいのです。

 

そこから新たに「臨終のその時まで」と

 

精進しましょう。

2020年12月27日日曜日

四修(ししゅ)⑭ 長時修(じょうじしゅ)その二

「後に認知症になったり、病気をして

 

お念仏を称えられなくなったらどうしよう」

 

と心配される方がたまにおられます。

 

その心配は無用です。

 

称えられなくなるまで、称えればいいのです。

 

今まで阿弥陀さまの本願を信じて、

 

お念仏を称えてきた人が、病気になって

 

称えられなくなったからといって、

 

阿弥陀さまがお見捨てになるはずが

 

ないではありませんか。

 

不確かな未来を心配するより、

 

今お念仏を称えられることを悦んで、

 

称えられなくなるまで称えればよいのです。

2020年12月26日土曜日

四修(ししゅ)⑮ まとめ

「敬って ただみ名ばかり 怠らず 

 

命限りに 勤むるが四修(ししゅ)」

 

「敬って」は恭敬修(くぎょうしゅ)。

 

「ただみ名ばかり」は無余修(むよしゅ)。

 

「怠らず」は無間修(むけんじゅ)。

 

「命限りに勤むる」は長時修(じょうじしゅ)です。

 

四修(ししゅ)とは、

 

「お念仏はありがたいなあ」と気づいた人が、

 

今後どうやって毎日の生活を

 

進めていくかを示すものです。

 

念仏するものは「阿弥陀さまをはじめとした

 

三宝(さんぼう)を敬う」。

 

これが恭敬修(くぎょうしゅ)です。

 

「お念仏一筋に!」

 

これが無余修(むよしゅ)。

 

「毎日お念仏を続けていく」

 

これが無間修(むけんじゅ)。

 

「一生涯お念仏を続けていく」

 

これが長時修(じょうじしゅ)です。

 

無間修(むけんじゅ)が続けば

 

それが即ち長時修(じょうじしゅ)になります。

 

このような「念仏生活」をお勧めします。


(四修の項終わる) 

2020年12月25日金曜日

安心(あんじん)① 心を安置する

浄土宗は「南無阿弥陀仏」と称えることを旨とする宗派です。

 

だからといって「100円やるから称えてごらん」

 

と言われて称えたらいいのか?というと、

 

そんなはずはありません。

 

「どういう心持ちで念仏をとなえればよいのか?」

 

ということが大切です。

 

その心持ちのことを「安心(あんじん)」と申します。

                   

また安心(あんじん)は念仏信者の

 

「心の据えどころ」だと言われます。

 

心を「安置」するのです。

 

仮置きすることを「安置」とはいいません。

 

「しっかりとこの場所に」固定する。

 

滅多なことでは動かさない。

 

それが「安置」です。

 

「安心(あんじん)」とは心の置き所。

 

心を安置する所です。

 

「あんしん」ではありません。

 

「あんしん」は心が安らぐこと。

 

「安心(あんじん)」は「心を安置する」こと。

 

「あんしん」と安心(あんじん)では随分意味が違うのです。

真身観文(しんじんがんもん)④

 (本文) 仏身(ぶっしん)の高さ、六十万億(ろくじゅうまんのく) 那由他(なゆた)恒河沙由旬(ごうがしゃゆじゅん)なり。 (現代語訳) 阿弥陀仏の背の高さは、六十万億(ろくじゅうまんのく) 那由他(なゆた)恒河沙由旬(ごうがしゃゆじゅん)です。 (解説) 次に阿弥陀さまの背の高...