2024年4月29日月曜日

5月前半のことば

 5月前半のことば

「わたしだけが悲しいのではない」


 新美南吉氏が書かれた絵本『でんでん虫のかなしみ』にこのような文章があります。

 一匹のでんでん虫がありました。ある日、そのでんでん虫は、大変なことに気がつきました。「わたしは今までうっかりしていたけれど、わたしの背中の殻の中には悲しみがいっぱい詰まっているではないか」この悲しみはどうしたらよいのでしょう。でんでん虫は、お友達のでんでん虫の所にやって行きました。「わたしはもう、生きてはいられません」と、そのでんでん虫はお友達に言いました。「何ですか」とお友達のでんでん虫は聞きました。「わたしは何と言う不幸せなものでしょう。わたしの背中の殻の中には、悲しみがいっぱい詰まっているのです」と、はじめのでんでん虫が話しました。すると、お友達のでんでん虫は言いました。「あなたばかりではありません。わたしの背中にも悲しみはいっぱいです」

 私たちは皆、それぞれの苦しみや悲しみを抱えています。

仏教の教えによれば、苦しみは生きとし生けるものの共通の経験です。

苦しみとは「思い通りにならない」ということです。

思い通りにならないことを、思い通りにしようとして、苦しんでいるのは,決して私だけではないのです。

2024年4月13日土曜日

4月後半のことば

 4月後半のことば

「永遠に走り続けることはできない」


私たちの好む健康や若さは、あくまで期間限定です。

そしてその期間がいつまで続くのかは誰にもわかりません。


「健康が一番」と言っても、健康でい続ける人はいません。

健康な状態は徐々に、あるいは突然に壊されます。

同様に、「若さが一番」と言っても、若いままの人はいません。

若いつもりが、ふとした時に自らの老いを自覚させられるものです。


「生きていればこそ」と言っても、生き続けることができないのが私たちです。

かの兼行法師も「死は前よりしも来たらず。かねて後ろにせまれり」とおっしゃっています。

そうであるならば、「他の人よりも早く」「誰よりも強く」という競争をやめてみるのも一つの手です。

今自分の周りにいる人との関係を大切にし、今の状況を受け入れてみると、今までの生き方は何だったのだろう?と思うかもしれません。

人は永遠には走り続けることができないのですから。


5月前半のことば

 5月前半のことば 「わたしだけが悲しいのではない」   新美南吉氏が書かれた絵本『でんでん虫のかなしみ』にこのような文章があります。  一匹のでんでん虫がありました。ある日、そのでんでん虫は、大変なことに気がつきました。「わたしは今までうっかりしていたけれど、わたしの背中の殻の...