2020年6月14日日曜日

良忠上人のご生涯③(出家と苦悩)

良忠上人は仏教の勉強に没頭し、16歳で正式に出家されました。

18歳になった良忠上人は、中国の法照禅師という方の

大聖竹林寺記』という書物を読まれました。

そこには

末法の時代の凡夫は、お釈迦様がこの世を去られてから

長い時間が経って、人々の知識は劣り、罪は深い。

そのような時代には念仏が最も適している

と書かれていました。

良忠上人はそれ以来、念仏一万遍称えるようになったといいます。

「何か劇的なことがあって念仏信仰に入られた」ことを

つい求めてしまいますが、経典や先達の解釈やその文言を

素直に受け取っていかれたことが尚ありがたく感じます。

後の偉業へと続く、その土台が18歳の時にできていたのです。

そこから良忠上人は非常にアクティブに移動を重ねられます。

山陰、山陽、京都、奈良と旅から旅へ教えを求めて移動を繰り返されるのです。

天台密教、真言密教、唯識、三論、華厳、禅の

み教えまでもを学んでいかれます。

法然上人も若き日に自分が本当に救われる教えを

探し求めて奈良を遍歴されました。

当時はもちろん徒歩です。

歩いては教えを聞いて学び、実践し、

歩いては歩いてはの繰り返しです。

良忠上人もまた教えを貪るように学び実践するけれども、

自分が救われるみ教えに中々出会うことができませんでした。

『看病用心鈔』
良忠上人


4月後半のことば

 4月後半のことば 「永遠に走り続けることはできない」 私たちの好む健康や若さは、あくまで期間限定です。 そしてその期間がいつまで続くのかは誰にもわかりません。 「健康が一番」と言っても、健康でい続ける人はいません。 健康な状態は徐々に、あるいは突然に壊されます。 同様に、「若さ...