2021年5月3日月曜日

仏説阿弥陀経㊳

(本文)


舎利弗(しゃりほつ)、まさに知るべし。


我(われ)五濁悪世(ごじょくあくせ)において、


この難事(なんじ)を行じて、


阿耨多羅(あのくたら)


三藐三菩提(さんみゃくさんぼだい)を得て、


一切世間の為に、この難信(なんしん)の法を説く。


これを甚難(じんなん)とす。






(現代語訳)


〈釈尊から舎利弗(しゃりほつ)に向けてのお言葉のつづき〉


「舎利弗(しゃりほつ)よ、よく知りなさい。


私は濁りきった悪い世において、


この非常に難しいことを成し遂げ、


この上なく正しい覚りを得て、


世界中の人々のために、


この信じがたい教えを説くのだ。


これは非常に困難なことである」


〈釈尊から舎利弗に向けてのお言葉はここまで〉






(解説)


『阿弥陀経』には自らの教えを「難信の法」と


説かれています。


先に「極楽浄土の存在のへの疑い」と


「凡夫(ぼんぶ)が往生できることへの疑い」の


二つがあると申しました。


また疑う人に「無智の者」と「有智の者」があると


申し上げました。


私の恩師はこの「難信の法」は


「信じがたいほど有り難い法だと受け止めよ」と


おっしゃっていました。


「そんな素晴らしい極楽浄土なんてあるはずがない」


というのは裏を返せば、「そんな素晴らしい世界が


あるならば行きたい」ということでしょう。


「凡夫が往生できるはずがない」というのは、


逆に言えば「凡夫が極楽へ行けるなんて、


そんな有り難いことはない」ということでしょう。


世間の常識では計り知れないのが仏の慈悲です。


弥陀・釈迦・諸仏が口を揃えてお勧めくださる、


「信じがたいほど有り難い法」を


素直に信じて受け入れたいものです。


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