4月前半のことば
「受け難き人身を受けて」
この言葉は、浄土宗の開祖・法然上人の御法語「一紙小消息」の一節です。私たちがこうして人間として生を受けていることの尊さを改めて感じさせられます。
人として生まれることは、決して当たり前のことではありません。生物学的に見ても、1億から4億の精子がたった一つの卵子と結びつき、命が生まれるという奇跡を考えれば、こうして存在すること自体が不思議でなりません。
さらに、自分の両親がどのように出会い、そこから自分が生まれたのかを思い巡らすとき、さらには先祖代々の歴史に思いを馳せると、「たまたま」という言葉では片付けられない不思議さを実感せずにはいられません。
とはいえ、「それに感謝しなさい」と一概に言われても、受け入れられない人もいるでしょう。生まれた環境や育った環境が過酷である場合、「こんな世に生まれたくなかった」「誰が産んでくれと言った?」と親を恨む人がいるのも無理はありません。不思議だと言われても、それをありがたいと思うかどうかは各人の心のありよう次第です。
仏教が説く輪廻の教えは、生物学的な遺伝や社会的な関係を超えた深遠なものです。仏典には、輪廻の苦しみの中で相当な善行を積まなければ人間に生まれることは叶わないと説かれています。私たちが人として生を受けていること自体が、過去世での精進の結果だと言えるのです。
輪廻の中で少しずつ善行を積み、精進の成果として人間として生を得たとき、仏教との縁が結ばれ、お念仏に出会えたのであれば、それはなんと尊いことでしょう。人間として生まれ、本願と出会ったことを悦び、お念仏を唱えて極楽浄土を目指していきたいものです。