8月前半のことば
「掃苔(そうたい)や 知恩のこころ よみがえる」 高浜虚子
「掃苔」とは、お墓の苔を掃き清めること。お盆や命日などにお墓参りをして、墓石をきれいにしながら手を合わせる。そんな光景を、懐かしく思う方もおられるのではないでしょうか。
高浜虚子は、この「掃苔」という行為の中に、「知恩」という言葉を響かせました。「知恩」とは、私たちが受けてきた数々のご恩を心に知ることを言います。親の恩、先祖の恩、友や師、社会の恩。ふだんは忘れがちなそれらの恩を、お墓の前で手を合わせるとき、自然と思い出すものです。
お盆は、まさに「感謝」をあらわす季節でもあります。亡き人々のことを想い、語りかけ、ありがとうと伝える。お墓の苔を掃き清めるのは、ただ石をきれいにするためだけではありません。その行為を通して、自分がどれほど多くの人に支えられて今を生きているかを思い出し、「ご恩に報いる」気持ちをあらたにするのです。
仏教では、「知恩」や「報恩(ほうおん)」という教えを大切にしています。与えられた恩をただ受け取るだけでなく、それに応えようとするこころ。その第一歩が、手を合わせ、苔を掃きながら亡き人を偲ぶことなのかもしれません。
街の喧騒の中を歩いていると、つい過去を忘れて今と未来ばかりを追いかけてしまいます。しかし立ち止まって、こうして墓前に向かうとき、人はふと立ち返るのです。「自分は決して一人で生きてきたのではない」と。