7月後半のことば
「阿弥陀さまは私の心の襞までお見通し」
私たちは誰しも、人には隠したい弱さや醜さを抱えて生きています。そして自分でも気づかないような、ささやかな嫉妬や欲、臆病さやずるさもまた、心の奥に潜んでいるものです。そのことにふと気づき、自分が嫌になることもあるかもしれません。しかし一方で、そんな自分さえ忘れてしまうほどの小さな思いやりや、人知れず誰かを案じる気持ちも確かに息づいているのです。私たちはその光と影のはざまで揺れながら、日々を生きています。
阿弥陀さまは、そのすべてをお見通しです。自分でも気づかぬ光と闇をも見抜いて、それでもなお「必ず救う」と誓われた仏さまです。そこにあるのは決して裁きの目ではなく、どこまでも見放さずに抱きとめようとする、限りない慈悲のまなざしです。そのまなざしは、私たちの弱ささえも否定せず、かえって救いの道へと導いてくださいます。
人に隠したい心の闇も、気づかぬうちに芽生えた小さな善も、そのままをも見捨てずに救ってくださる阿弥陀さまがいてくださるのです。そして、その救いに応える道は難しい修行や努力ではなく、ただ「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えることなのです。だからこそ、その身そのままで、南無阿弥陀仏と称えればよいのです。