2020年5月24日日曜日

法然上人のご生涯②(ご生誕)

法然上人のお母さまは秦氏(はたうじ)というお方です。

古代、中世の女性は一部の上流階級を除いて名前を記録に残しませんでした。

もちろん呼び名はあったでしょうが、記録には残りません。

法然上人のお母さまも「秦」という「氏」の女性だとしかわかりません。

秦氏は渡来系の一族で、機織りものをはじめ、農耕や養蚕、鋳造、木工など多岐にわたる技術をもっていたといいます。

京都の「太秦」他各地に「秦」の名の付く地名が残っています。

京都の広隆寺や松尾大社は秦氏の創建ですし、長岡京や平安京の造営の際には経済基盤を支えたとみられています。

このように秦氏は非常に力を持った一族でありました。

お二人は子供をなかなか授からなかったので、近くの岩間の観音さまと呼ばれるところへお参りして、子授けを祈願されます。

このお寺は本山寺といいまして、今もしっかりと残っています。

現在その伽藍は山の中腹にあります。

元々はもっと奥にあったようですが、1100年に今の場所へ移築されたのだそうです。

1100年ということは法然上人がお生まれになる(1133年)少し前です。

法然上人当時はその辺りでは一番の大寺だったようです。

今は古いお寺ですが、当時はできたばかりの立派な建物だったことでしょう。

900年近く経った今も法然上人の親御さまが祈願された、その同じお堂の同じ観音さまを拝むことができるのです。

実際に足を運びますと、かなり距離もありますし、山の中の険しい場所であることがわかります。

とても現代人が頻繁に通えるような位置関係にないのです。

どのぐらいの頻度でお参りなさったのかは定かではありません。

しかし一度登るのには半日はかかるでしょう。

それを思いますときに法然上人は本当に願って願って願われてこの世に生を受けられたのだということに思い至ります。

さてそんなある日、秦氏さまはカミソリを呑む夢をご覧になりました。

このようにして神仏に祈願をして見た夢を霊夢と申します。

「尊い印だ」とご夫婦喜ばれ、そして秦氏さまはご懐妊されます。

大事に大事にお腹の中で育まれた法然上人は長承2年(1133年)4月7日にお生まれになります。

お釈迦さまがお生まれになったのは4月8日でしたね。

法然上人はその一日前、4月7日です(旧暦です)。

先にもお伝えしましたように、当時の社会は決して平和といえる状況ではありませんでした。

皇族・貴族、そして国司などの役人の私欲のために、人々は随分苦しめられました。

我々も今経験しておりますように疫病が流行したり天災飢饉に見舞われることも多くあったことでしょう。

そういう時代にお生まれになったということで、1133年は「ひとびとさんざん」と覚えよ、と恩師に教わりました。

お生まれになった当日にはどこからともなく二流れの幡が舞い降りてきて、屋敷にあった椋の木に掛かったと伝えられます。

その場所に今、誕生寺が建っているのです。

それはそれはご両親、時国公のご家臣も喜ばれたことでございましょう。

お生まれになった赤ん坊は勢至丸と名付けられ、大事に大事に育てられます。

智慧の菩薩と言われる勢至菩薩さまからお名前をいただかれたわけです。

非常に聡明で信心深い子供であったと伝えられています。



まんが『選択の人 法然上人』
阿川文正・監修
横山まさみち・漫画


4月後半のことば

 4月後半のことば 「永遠に走り続けることはできない」 私たちの好む健康や若さは、あくまで期間限定です。 そしてその期間がいつまで続くのかは誰にもわかりません。 「健康が一番」と言っても、健康でい続ける人はいません。 健康な状態は徐々に、あるいは突然に壊されます。 同様に、「若さ...