源智上人は法然上人門下の中でも、
法然上人の元で常随給仕された側近のお弟子として、
一目おかれる存在でありました。
その源智上人は奇しくも聖光上人と同じ年の年末に
極楽浄土へと往生されます。
源智上人にも多くのお弟子がおられました。
その中で源智上人の跡を継がれたのは蓮寂(れんじゃく)上人です。
京都に立ち寄った良忠上人は、
教えを確認するために蓮寂(れんじゃく)上人を訪ねました。
聖光上人の弟子である良忠上人。
源智上人のお弟子蓮寂上人。
どちらも法然上人からすると孫弟子です。
このお二人が京都は東山の赤築地(あかつじ)にて
四十八日間の談義をして、聖光上人の流れと
源智上人の流れを付き合わせたところ、
間違いなく符合することを確認しました。
そこで蓮寂上人は
「紫野(むらさきの)門徒は鎮西(ちんぜい)聖光上人の流れと同じである」
として別流を立てないことを明らかにされたのです。
教えを伝えている間に自分の考えを盛り込んでいくと、
徐々に異なったものになってきます。
浄土宗は聖光上人が良忠上人に伝えたように
「一器の水を一器へ写す」ようにして
同じ教えをそのままに伝授してゆくのです。
源智上人も同じく蓮寂上人へ伝授されました。
こうして大切な確認を終え、良忠上人は東国へと向かわれます。
『勢観房源智上人』
総本山知恩院