「病苦」は「病の苦しみ」です。
誰も病気になりたい人はいないのに、
生きていればいつか病気になる時もやってきます。
しかし実際に病気になると肉体的な苦しみはもちろんのこと、
精神的にも苦しい思いが溢れます。
「なぜ私だけがこんな目に遭うの?」
「このままずっと治らないの?」
「何であの時に気づかなかったのだろう?」
不安・後悔・怒り。
さまざまなネガティブな感情がわき起こってきます。
「病気のない人生」であって欲しいですが、
それが思い通りにならないのです。
そして究極は「死苦」です。
浄土宗第二祖聖光上人は
「八万の法門は死の一字を説く」とおっしゃっています。
「八万の法門」というのは「お釈迦さまが説かれたすべての教え」
という意味、つまり「仏法」です。
「仏法は死を説いているのだ」ということです。
生きていれば必ず死を迎えるということは誰でも知っていますが、
それを自分のこととして受け入れることは人生最大の難問です。
死にたくなくてもいつかは死に至りますし、
逆に「もういい」と思っていても寿命はコントロールできません。
「死をコントロールできるならいつがいいか?」などと考えると、
「子どもが学校を卒業するまで」と思うかもしれません。
しかしよく考えると「子どもが自立するまで」
「家庭をもつまで」「孫の顔を見るまで」「孫が成人するまで」
と区切りがつかなくなることもあるでしょう。
そしてその時点が来たらパッと覚悟できるかというと、どうでしょうか。
そしてそんな妄想自体がナンセンスで、やはり思い通りにはなりません。
『仏教思想のゼロポイント』
魚川祐司