2020年10月2日金曜日

浄土宗のおつとめ⑫(懺悔偈〈さんげげ〉その五)

私は毎朝本堂でこの「日常勤行(にちじょうごんぎょう)」

 

を勤めます。

 

この「懺悔偈(さんげげ)」や

 

後にお伝えする「念仏一会(ねんぶついちえ)」の際に

 

お念仏を称えながら、

 

「阿弥陀さま、私の心の中をご覧ください」

 

と意識します。

 

変な表現ですが、私の胸からお腹にかけて、

 

チャックがついていて、それをジーッと開けるような

 

イメージをします。

 

「私の腹の底まで」オープンにして

 

「阿弥陀さまに診察してもらう」というイメージです。

 

阿弥陀さまは私が知らない私も知って下さっています。

 

私は自分のことを「いい人」だと思いたいので、

 

嫌なところを隠します。

 

「あれはあの人が悪いんや。ぼくは悪くない」

 

「こんなことは誰でもしてることや。」

 

などと自己弁護します。

 

でも阿弥陀さまは自己弁護している

 

心の奥をご覧になりますし、

 

更には自分で善いことをしているつもりでも、

 

人を傷つけたりしている、

 

それに気づかずに自己満足している

 

愚かな私も知ってくださっています。

 

こう言っては身も蓋もありませんが、

 

私たちは「私利私欲」のために生きています。

 

日常の思いや行動、言動はほぼすべて

 

「我が身、我がため」と言っても過言ではありません。

 

ですから懺悔(さんげ)を朝するのがキモなのです。

 

朝、自分の心の中を阿弥陀さまにご覧頂き、

 

「あかんなあ」と自分で認識します。

 

そんな風にして自分の嫌なところを直視したら、

 

落ち込んで一日暗くなるのかというと、

 

実はそうではありません。

 

本堂でお勤めして「あかん」自分を直視して、

 

本堂から茶の間に降りてくると、

 

いつまでも寝室から出てこない

 

息子達にイライラしてくる。

 

「早よ起きなさい!いつまでもダラダラして!」

 

その後、車に乗ってお参りに出かける途中、

 

他の車が割り込んできたら、

 

「もう!急いでんのに!」と腹を立てる。

 

そうです。

 

人格は何にもよくなっていません。

 

今朝、阿弥陀さまの前で、

 

「あかんなあ」と自らの心の闇を明らかにしたけれど、

 

人格的には全く何にもよくなっていないのです。

 

「それじゃ意味がないよ!?」

 

と思われるかもしれません。

 

でもそんなことはありません。

 

「あ!さっき阿弥陀さまの前で

 

自分の嫌なところをさらけ出したのに、

 

もうイライラしてる!」という自分に気づくのです。

 

欲ばりな心や腹立ちの心に傾いている

 

自分に気づきやすいのです。

 

そうすると「あかん、あかん」とリセットできます。

 

朝にそれをやっていないと、イライラしたり欲張っても

 

気づかないのでリセットすることを忘れてしまいます。

 

この朝のお勤めの中で

 

「阿弥陀さま、心の中をご覧下さい」

 

と阿弥陀さまにさらけ出すことをオススメします。

 

5分でも10分でもやれば違います。

 

いい人になるのではなく、自分の一日が楽になります。

 

毎朝、阿弥陀さまに告白し、

 

「診察」していただきましょう。

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