私たちが昔から繰り返してきた、
数々の悪い行いは、
自分では、「始まりすらわからないほどの過去(無始より)」から
ガッチリと私に具わってきた
「煩悩(ぼんのう)」による「行い」ばかりだというのです。
そして、その「行い」をどこから発せられるかというと、
「身・語・意(しん・ご・い)」からです。
「身」は「身体」、「語」は「言葉」、
「意」は「心」です。
「身体と言葉と心」で、数々の煩悩にまみれた
行いを繰り返してきた、というのです。
前世のことは全く記憶にありませんので、
「そうなんですか」と言うしかありませんね。
ただ、今現在の自分の行いを見てみると、
やはり「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」という
「欲ばり」「怒り」「自己中心」の行いが
人生の多くを占めているとは言えないでしょうか。
何度も生まれ変わり死に変わり輪廻を
繰り返してきた中でも、
もちろん「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」を
元とする行いを繰り返してきたことでしょう。
もしかすると、時には人を殺めたかもしれません。
もしかすると、盗みを繰り返したかもわかりません。
騙してばかりの一生を過ごした時もあったでしょう。
きっと多くの他者を傷つけてきたでしょう。
今まで繰り返してきたであろう、
数え切れない根源的な悪しき行いを
私は今すべて告白します、というのが
「懺悔偈(さんげげ)」の内容です。
相当に重いですね。