「総回向偈(そうえこうげ)」は
「私だけでなく、みんな極楽へ往こう!」
というお言葉です。
私がお念仏を称えれば、救われるのは私です。
しかし、それを「〇〇さんに」と縁のある方に
振り向けるのが「追善回向(ついぜんえこう)」です。
総回向は、積んだ功徳(くどく)を、
縁があってもなくても、
「あらゆる方々に平等に施す」のです。
「みんな同じように、いつか成仏(じょうぶつ)
できますように!」
と願って、
「極楽往生」を目指すのです。
ここで、「成仏(じょうぶつ)」??
「往生」??
とややこしくなってきましたね。
亡き人に「成仏(じょうぶつ)してくれよ!」
と言うこともあれば、
「往生してね!」と願うこともあるでしょう。
「成仏(じょうぶつ)」というのは
文字通り「仏になる」ことです。
阿弥陀さまやお釈迦さまのように、
あらゆる煩悩を断ち尽くし、
神通力を得て、自分の浄土を構えるのです。
このような「成仏(じょうぶつ)」が
亡くなってすぐに叶うはずはありません。
ですから、成仏(じょうぶつ)は簡単ではありません。
「往生」というのは「極楽へ往き生まれること」です。
そして「成仏(じょうぶつ)」に対して
「往生」は極めて易しいことなのです。
「極楽へ往きたい!」と願って「念仏」を称えれば、
「阿弥陀さまの力によって」
誰でも、たやすく極楽への往生は叶います。
遠い目標ではありますが、仏教徒は
「いつか成仏できますように!」と願うべきです。
しかし今生きている間に、煩悩を断ち切って
成仏することは、とても叶いがたい私たちは、
まずは念仏を称えて極楽を目指します。
極楽へ往けば、「阿弥陀さま」という最高の指導者の下で、
素敵な仲間と共に、「成仏するまで」育ててもらえます。
ですから浄土宗では「極楽」を目標にするのです。
この「総回向偈(そうえこうげ)」には
「浄土宗の特長」が色濃く出ているといえるでしょう。
続く十念は「みんな極楽浄土へ往生できますように」
という思いで称えましょう。
「日常勤行式(にちじょうごんぎょうしき)」においては、
「開経偈(かいきょうげ)」から
この「総回向偈(そうえこうげ)」、
「十念」までが「本章」です。