「阿弥陀仏は不取正覚の言を成就して、
現に彼の国にましませば、
定んで命終の時は来迎し給わん」
ここは阿弥陀さまの「目的」と、
私たちが「念仏を称える」ことが、
しっかりと一致していることを確認するところです。
阿弥陀仏が、かつて「法蔵菩薩」であった時、
四十八の願を建てられました。
そしてその一つ一つに、
「この願が達成しなかったら、仏にならない!」
と誓われました。
その結果、ちゃんとすべての願を達成されて、
「阿弥陀仏」という仏になられました。
ということは、四十八の願で誓われたことは、
すべて実現した、ということになります。
四十八願(しじゅうはちがん)の内、
第十八願には、
「我が名を呼ぶ者すべて我が国(極楽浄土)へ迎え取る」
と誓われました。
「浄土三部経」
第十九願では、
「念仏を称え、我が国(極楽浄土)へ生まれたい!と
願う者の臨終の時には、
たくさんの菩薩を引き連れて迎えに行く」
と誓っておられます。
それらはすべて、すでに実現したことです。
ですから、「南無阿弥陀仏」と念仏を称え、
「極楽浄土へ往きたい!」と願う者の臨終の際には、
間違いなく阿弥陀さまが直々にお迎えくださいます。
これは間違いのないことなのです。
「お念仏を称える」ことは、阿弥陀仏の願に随った行為、
「随順仏願(ずいじゅんぶつがん)」なのです。
「所求(しょぐ)・所帰(しょき)・去行(こぎょう)」