2021年1月31日日曜日

三種行儀(さんしゅぎょうぎ) ① 宗義(しゅうぎ)と行相(ぎょうそう)

「浄土宗とはどういう宗派か」ということを


「宗義(しゅうぎ)」といいます。


この「宗義(しゅうぎ)」に相当するのが、


「五種正行(ごしゅしょうぎょう)」です。


「五種正行(ごしゅしょうぎょう)」は


「極楽浄土へ往生するためには、


阿弥陀仏の本願である念仏を称える」


という浄土宗の理念を表しています。




五種正行(ごしゅしょうぎょう)

     ↓

https://hourinji.blogspot.com/search/label/%E4%BA%94%E7%A8%AE%E6%AD%A3%E8%A1%8C%EF%BC%88%E3%81%94%E3%81%97%E3%82%85%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%8E%E3%82%87%E3%81%86%EF%BC%89




その「宗義(しゅうぎ)」の中身、


「具体的にお念仏をどのように実践するのか」


を表すのが「行相(ぎょうそう)」です。


「行相(ぎょうそう)」には、


「お念仏を称える心持ち」を表す「三心(さんじん)」、


「念仏者の生活」を表す「四修(ししゅ)」、


「念仏実践の行儀」を表す


「三種行儀(さんしゅぎょうぎ)」などが挙げられます。


その「三種行儀(さんしゅぎょうぎ)」について


これからお伝えしてまいります。


2021年1月30日土曜日

三種行儀(さんしゅぎょうぎ) ② 尋常行儀(じんじょうぎょうぎ)その一

「三種行儀(さんしゅぎょうぎ)」とは、


「念仏をどのように実践していくか」を示すものです。


一つ目が「尋常行儀(じんじょうぎょうぎ)」、


二番目が「別時行儀(べつじぎょうぎ)」、


三番目が「臨終行儀(りんじゅうぎょうぎ)」です。

      

「尋常行儀(じんじょうぎょうぎ)」というのは、


日常のお念仏、普段のお念仏です。


ですから、この「尋常行儀(じんじょうぎょうぎ)」が


中心です。


いつでもどこでもどんなときでも、


自分の姿や形にとらわれず、


お念仏を称えるのです。


2021年1月29日金曜日

三種行儀(さんしゅぎょうぎ) ③ 尋常行儀(じんじょうぎょうぎ)その二

日常の中でお念仏が称えられれば、


ありがたいですね。


たとえば、歩いている時に「南無阿弥陀仏」と


称えつつ歩いてみてはいかがでしょうか。


私もいつも称えながら歩いています。


人前では大きな声で称えることはできませんが、


口の中で舌を動かして称えることならできます。


お風呂でも称えることできます。


お料理の最中でも、車を運転しているときも


お念仏は称えることはできます。


法然上人はお手洗いでもお念仏を


お称えされていたといいます。


「お手洗いで御念仏を唱えるなんて」と


何か罰当たりのような気はしませんか?


お弟子さんの一人もそう思われて、


「法然上人、いくらなんでもお手洗いで


お念仏を称えるのはよくないんじゃないですか?」


と咎めたところ、


「厠(かわや)にて申す念仏に咎(とが)あれば 


召し込めよかし弥陀の浄土へ」という


お歌を返されたといいます。


「厠(かわや)で念仏を申すことが


罪だというのなら、どうぞ極楽へ


召し捕ってもらいたいものだ」


とおっしゃったのです。


このように実践することによって


お念仏が癖付いてきます。


初めは「称えよう、称えよう」と


意識することも大切でしょう。


しかしその内癖付けば、勝手に口をついて


お念仏が出てきます。


こうなればしめたものです。


2021年1月28日木曜日

三種行儀(さんしゅぎょうぎ)④ 尋常行儀(じんじょうぎょうぎ)その三

お念仏の数を数えることも、


癖づけるた効果があります。


浄土宗において、数珠(じゅず)は


「お念仏の数取り」です。


以前数珠の使い方を動画に上げましたので、


是非やってみてください。




数珠の繰り方

https://hourinji.blogspot.com/2020/05/blog-post_15.html




法然上人は、「いつも数珠を持って数をとるべきである」


とおっしゃっています。


単純なことですが、


「今日は何回称えた、明日はもう少し称えよう」と


数を励みにして、習慣づけましょう。


2021年1月27日水曜日

三種行儀(さんしゅぎょうぎ) ⑤ 尋常行儀(じんじょうぎょうぎ)その四

江戸時代に徳本(とくほん)上人という


念仏行者がおられました。


自らたくさんのお念仏を称え、


全国各地へ赴いて、多くの人にお念仏を勧められました。


また、独特の書体でお名号(みょうごう)を書き、


それが今もあちこちに石碑となって残っています。

               ※お名号…南無阿弥陀仏のこと


その徳本行者のお弟子が、徳本行者のお名号の周りに


○を千個つけて、念仏を千遍称えるごとに、


その○を一つ塗りつぶすように人々に勧めました。


千遍称えるごとに○が塗りつぶされ、


その○千個がすべて塗りつぶされた時には、


百万遍の念仏を称えたことになります。


お念仏を習慣づけるための


素晴らしいアイデアではありませんか。


法輪寺のお檀家さんには、


千遍というとあまりにハードルが高いので、


百遍称えるごとに○を一つ塗りつぶすように


勧めています。



徳本上人の念仏相続記録用紙のダウンロードはコチラ

            ↓

https://drive.google.com/file/d/19shwEhwtUalIZ1m7Kl-ACzCVOcH1-ym1/view?usp=sharing



あるお檀家さんはこうおっしゃいます。


「この念仏記録帳があるおかげで、


途切れずに続けることができています」


ある方は記録帳を冷蔵庫にマグネットで


貼り付けておられます。


その方はお念仏を称えつつ


お料理や洗い物をして、晩ご飯の


片付けが終わった後に記録するのだそうです。


どうか皆さんもお念仏が続くように工夫して下さい。


そして、「こんな方法でやると続き易いですよ」と


情報交換などしていただいたら有り難いですね。


そのような工夫を続けていると


自然とお念仏が癖付きます。


そうなるとしめたものです。


気がつけば「南無阿弥陀仏」と称えている。


そして自らの口から自然にお念仏が


出ていることに気づいたときに


「いつも阿弥陀様は私をご覧下さっている」と


悦びが沸き起こるのです。


このような日常的な普段の念仏を


「尋常行儀(じんじょうぎょうぎ)」といいます。


2021年1月26日火曜日

三種行儀(さんしゅぎょうぎ) ⑥ 尋常行儀(じんじょうぎょうぎ)その五

法然上人は


「衆生(しゅじょう)仏(ほとけ)を礼(らい)すれば、


仏(ほとけ)これを見給う。


衆生(しゅじょう)仏(ほとけ)を唱うれば、


仏(ほとけ)これを聞き給う。


衆生(しゅじょう)仏(ほとけ)を念ずれば、


仏(ほとけ)も衆生(しゅじょう)を念じ給う」


と仰います。


「私たちが仏さまに礼拝し、


身体で敬いを表せば仏さまも私たちの姿をご覧くださる。


私たちが念仏を称えれば、


仏さまはその声をお聞きくださる。


私たちが仏さまのことを思った時、


仏さまもこちらのことを思ってくださる」


また数珠を繰って念仏を称えておれば、


「おうおう、唱えてくれておるか」


とご覧くださりお聞き下さり、


また「念仏申そう」と思えば


「おう、唱えようとしてくれておるなあ」


とお喜び下さるのです。


ありがたいことです。


身体で礼拝したり、数珠を繰る。


口では南無阿弥陀仏と称え、


心で「阿弥陀さま!」と思う。


身体と口と心すべてを阿弥陀さまと


極楽へ向けることができれば有り難いですね。


2021年1月25日月曜日

三種行儀(さんしゅぎょうぎ) ⑦ 尋常行儀(じんじょうぎょうぎ)その六

「心の中で念仏を称えてもいいじゃないか」


という方もときどきおられます。


法然上人は


「それも悪くはないけれど、


やはり阿弥陀さまは、我が名を呼べよ、


と仰っているのだから、


声に出して称えるのが基本ですよ」


と仰っています。


身体と口と心が揃えばよいのですが、


主になるのは「口に称える」ことです。


もちろん


「阿弥陀さま、極楽へ迎え取ってください」


という思いがあってのことですが、


お念仏を称えている間中、ずっと


「阿弥陀さま、極楽へ迎え取ってください」


と思い続けるというのは難しいことです。


「心の中で称える方が簡単だ」


と思われるかも知れませんが、


私たちの心の中はそんなに上等にはできていません。


仮に心の中で十分でもお念仏を称えてみてください。


きっとすぐに違うことに思いが散って


気がついたらお念仏どころでは


なくなってしまうことでしょう。


しかし、思いは散っても


「阿弥陀さま、極楽へ往生させてください」


と願う心を大きく持つことはできます。


その私が、声に出してお念仏を称えるのです。


心はあちこちに散り乱れる私ですが、


口の念仏は癖付ければ続きます。  


念仏の「念」は「声」です。


声に出してお念仏を称えましょう。


2021年1月24日日曜日

三種行儀(さんしゅぎょうぎ) ⑧ 尋常行儀(じんじょうぎょうぎ)その七

お仏壇の前や本堂ではしっかりと


声に出してお念仏をお称えください。


しかし道を歩く時や人前で


「なーむあーみだーぶ」と


大きな声で称えるのは憚られることでしょう。

                                            

そのようなことに関しても、


法然上人は考えて下さっています。


そういうときは「我が耳に聞こゆるほど」と仰っています。


有り難いですね。


江戸時代に活躍された法洲(ほうじゅう)上人は、


「舌の動く程度」とも仰っています。


心の中だけではなく、身体がちゃんと動いているのです。


実際にやってみればわかりますが、


心の中で称える念仏は、いつの間にか消えてしまいますが、


舌が動いていたら消えずに続けることができます。


一人でいる時や人前では、舌が動く程度でも構いませんが、


できるだけお念仏を継続できるようにしましょう。


「続ける」ということが大切なのです。


2021年1月23日土曜日

三種行儀(さんしゅぎょうぎ) ⑨ 尋常行儀(じんじょうぎょうぎ)その八

五重相伝(ごじゅうそうでん)という、


浄土宗の念仏の教えを五つ重ねにして


相伝する法要があります。


あるお檀家さんのご主人は、


五重相伝(ごじゅうそうでん)を受けてから


一筋の念仏者になられました。


常にお念仏を称える人になられたのです。


奥さんが仰います。


「この人、恥ずかしいんですよ。


電車の中でもブツブツお念仏称えているんです」


ご主人は「いいじゃないか。迷惑かけてないんだから。


大きな声で称えている訳でもないし」


これはとても有り難いことです。


ただし、法然上人は、周りに気をつけるように仰っています。


念仏以外の信仰を持っている方や、


念仏を称える声を耳障りに感じる人もいるでしょう。


人に念仏への悪意を起こさせてはいけません。


ですから私は電車の中では「舌の動く程度」に称えています。


私が称えていても隣の人は全く気づきません。


でもちゃんと舌を動かして称えています。


周りに気遣うことなく、あたり構わず称えていると、


人と摩擦を起こして、続けられなくなるかもしれません。


気をつけながらも念仏を続けていきたいものです。


2021年1月22日金曜日

三種行儀(さんしゅぎょうぎ) ⑩ 尋常行儀(じんじょうぎょうぎ)その九

みなさんの周りに、


いつでも「なむあみだぶ なむあみだぶ」と称える


おばあさんやおじいさんはおられませんでしたか?


「念仏おじいさん」や「念仏おばあさん」です。


私の祖母がそういう人でした。


他にもたくさんそういう方を知っています。


あの方たちは、尋常行儀(じんじょうぎょうぎ)を


実践しておられるのです。


いつでもどこでもどんなときでも


称えることができるのがお念仏の大きな特長です。


他にも色んな仏道修行がありますが、


どれも時や場所を選びます。


心を鎮める修行には静かな山の中が適しているでしょう。


お念仏は歩きながらでも立ち止まっていても、


座ってても寝転んでいても、


いつでもどこでもどんな時でも称えることができます。


現代において、かつて私が接したような、


いつでもお念仏を称えている人は絶滅寸前です。


「いつでもお念仏を称える人が周りにいませんでした?」


と尋ねると、少し前までは「いたいた!」という反応を


よくいただいたのですが、


最近は「さあ?そんな人知りません」と


言われることが増えてきました。


どうかみなさんがお念仏を実践してください。


「念仏おじいさん」「念仏おばあさん」


「念仏おじさん」「念仏おばさん」になりましょう。


そしてお子さんやお孫さん、若い方に


そのお姿を見せてください。


2021年1月21日木曜日

三種行儀(さんしゅぎょうぎ) ⑪ 別時行儀(べつじぎょうぎ) その一

三種行儀(さんしゅぎょうぎ)の二番目は


別時行儀(べつじぎょうぎ)です。


毎日お念仏を称えていますと、段々怠け心が出てきます。


人間とはそういうものですね。


どれだけありがたいと思ったお念仏も、


長く続けていくうちに、


惰性になってしまう時期も来ることでしょう。


そのような私たちですから、ときどきは


時と場所を定めて集中的にお念仏を称えたいものです。


これを別時行儀(べつじぎょうぎ)と申します。


2021年1月20日水曜日

三種行儀(さんしゅぎょうぎ)⑫ 別時行儀(べつじぎょうぎ)その二

法輪寺では年に二度、春と秋の気候がよいときに


昼の2時から夜の10時まで御念仏を唱える


「念仏会(ねんぶつえ)」という法要を勤めています。


残念ながらコロナ禍により、


昨年の二回は中止を余儀なくされました。


状況が好転しましたら、再開いたします。


「念仏会(ねんぶつえ)」全体の時間は8時間ですが、


2時からと6時からそれぞれ1時間ずつ


お説教をお聴きいただく時間がありますので、


実質は6時間です。


お越しになる方はご都合のよい時間にお越しになり、


続けたい人は最後までおられますし、


ご用事のある方は途中でお帰りになります。


ご用事がなくても、それぞれの体力や気力に応じて


自分にとって心地のよい時間、


お念仏を唱えて過ごされます。


ただし、私の経験上申しますと、


最初の2時間ぐらいはしんどく感じます。


眠たくなってきたり、周りが気になったり、


「まだこれだけしか時間が経っていないのか」


などと心が揺れます。


でもそれを越すと、不思議にとても心地よくなってきます。


「いくらでも続くんじゃないか」と思うほどに、


止めたくなくなってきます。


照明は本尊阿弥陀さまの元だけですので、


日が暮れますと、周りが見えなくなってきます。


そうしますと周りが気にならなくなります。


阿弥陀さまと私が、


差し向かいにならせていただきます。


これが何ともありがたいのです。


お檀家さんでも、この感覚を知っている人は


日が暮れた時間に合わせてお越しになります。


阿弥陀さまと向き合ってお念仏を唱えていると、


「何とも浅ましい自分だなあ」と


涙が溢れてくることもあります。


また「あのお檀家のおじいちゃんも、


おばあちゃんも極楽で阿弥陀様の元で


楽しくお過ごしなんだろうな」


などと感じられて嬉しい気持ちになります。


「極楽へ往きたいなあ」という気持ちが


盛り上がってくるのです。


別時にはこのような効果があります。


2021年1月19日火曜日

三種行儀(さんしゅぎょうぎ) ⑬ 別時行儀(べつじぎょうぎ) その三

毎日お念仏唱えているのでしたら、


それでよさそうなものですが、


私たちには怠け心がありますから、


慣れてくると心が萎えてくることがあります。


法然上人は


「時々別時(べつじ)の念仏を修(しゅ)して、


心をも身をも励まし、調え進むべきなり」


と仰っています。


そして「毎日たくさんのお念仏を称えていても、


人の心というのは目が慣れ、


耳が慣れてきたら、段々心が弱くなり、


毎日の忙しさにかまけて


心が落ち着かなくなってきて、


お念仏が疎かになっていくものです」


と仰います。


まことにその通りです。


「ただ称えるだけ」でよいお念仏さえも


続けるのは難しいのです。


そのために


「時々別時の念仏を修すべきである」


とおっしゃるのです。


2021年1月18日月曜日

三種行儀(さんしゅぎょうぎ) ⑭ 別時行儀(べつじぎょうぎ)その四

プロ野球選手は毎年合宿します。


わざわざ四国や九州、沖縄など


気候のよいところで集中的に練習をします。


毎日グランドや施設でトレーニングをし、


野球の練習をしているのに、


その上にわざわざ場所を変えて、


泊まり込みで野球漬けになるのです。


毎日やっているのですから、


それだけで十分なはずです。


でもわざわざ環境を変えて、一定の間、


時間を作って合宿をします。


そして合宿から帰ってきたら、


また日常の練習に戻る。


別時(べつじ)もこれと同様です。


毎日日課のお念仏を称えていますが、


段々目が慣れ、耳が慣れていい加減になってくるのです。


このことに自分で気づく場合もあれば、


全く気づかない場合もあります。


私たちはそういう弱い心を持っているから、


時々別時念仏をするのです。


場所と時間を調えて、普段と違った環境で


集中的に称えるのです。


このように、わざわざ時間を作って


「お念仏を称えよう」という環境を整えて


特別に行うのが別時(べつじ)です。


別時(べつじ)をすることによって、


普段の念仏である尋常行儀(じんじょうぎょうぎ)もまた


「ありがたいなあ。また称えよう!」


と気持ちが切り替わるのです。


ご自宅でも時々行うことをお勧めします。


2021年1月17日日曜日

三種行儀(さんしゅぎょうぎ)⑮ 臨終行儀(りんじゅうぎょうぎ)その一

三種行儀(さんじゅぎょうぎ)の三つ目は


臨終行儀(りんじゅうぎょうぎ)です。


かつて、お医者さまからご臨終と言われたのに、


後からから蘇生した、という話をよく聞きました。


その中には、臨終と聞いてから、


家族や親族が当人の悪口を言い、


それがすべて当人に聞こえていた、


という恐ろしい話もいくつも聞きます。


臨終の枕辺で悪口を言うものではない、


と昔から伝えられます。


どうかお心得ください。


私はお通夜の際に


「お通夜の儀式は一旦終わりますが、


本当のお通夜はこれからです。


お参りの皆さんは、お家に帰られましても


どうかそれぞれ故人を阿弥陀さまに


お任せする思いをもって


お念仏してお過ごし下さい」といつも言います。

 

お身内の方は、ご臨終の方のそばで、


「感謝の言葉」や「言い足りないこと」、


「今まで言いそびれてきたこと」を伝えるのもいいでしょう。


そして何よりも、お念仏をお称えして


お過ごしいただきたいのです。


お念仏を称えてきた人、お念仏で送られていく人が、


臨終の時に迷われることはありません。


阿弥陀さまが来てくださるのですから。


臨終を迎えるご本人も、送る方も


「必ず阿弥陀さまがお迎えにお越しくださる」


と思い定めることが大切です。


2021年1月16日土曜日

三種行儀(さんしゅぎょうぎ) ⑯ 臨終行儀(りんじゅうぎょうぎ)その二

「臨終行儀(りんじゅうぎょうぎ)」とは


死を迎えるときのお念仏です。


「いよいよ死が訪れる」ということが分かれば


死ぬ間際にお念仏を称えることもできるでしょう。


しかし中々そううまくはいきません。


いよいよの時に本人が称えるのは難しいでしょう。


ですから家族の誰かが枕元で


小さな声でお念仏を称えて補助をするのです。


呼吸に合わせて「なむ あみ だぶ」と


そばで称えて差し上げてください。


聴覚は最後まで残ります。


お医者さんが「ご臨終です」と言われても


お念仏をお耳に届けてください。


もし仮に悪口を聞かせたなら、


それが聞こえたまま、


反論もできずに亡くなっていかれるかもしれません。


ですから、臨終の枕辺で当人が


不快に思われるようなことを言ってはいけません。


どうか枕元で悪口を言ったり、


遺産の話をしたり、喧嘩をしないで下さい。


誰かがお葬式の段取りをすることも必要でしょうが、


できるだけ、どなたかがそばについて、


「臨終を迎える方と一緒に」という思いをもって


お念仏を称えて下さい。


これが残された者の心得です。


ただ、今ブログをご覧になっている方は、


「誰かが見送ってくれる」ということを頼りにせず、


阿弥陀さまを頼りにして、


普段からお念仏を称えて下さい。


2021年1月15日金曜日

三種行儀(さんしゅぎょうぎ) ⑰ 臨終行儀(りんじゅうぎょうぎ)その三

法然上人は


「平生の念仏の、死ぬれば臨終の念仏となり、


臨終の念仏の、のぶれば平生の念仏となるなり。」


とおっしゃっています。


「平生の念仏」とは普段の念仏ですから、


「三種行儀(さんしゅぎょうぎ)」でいうところの


「尋常行儀(じんじょうぎょうぎ)」に当たります。


尋常(じんじょう)の念仏を続けていると、


いつかは命が尽きる時がやってきます。


そこで命が尽きたらそれが臨終の念仏になるのです。


また、いつ死を迎えるのかは


誰にもわからないのですから、


「今が臨終」と心得て念仏を称え、


その臨終念仏が続いていけば、


それがすなわち尋常(じんじょう)の念仏となるのです。


2021年1月14日木曜日

三種行儀(さんしゅぎょうぎ) ⑱ 臨終行儀(りんじゅうぎょうぎ) その四

どうか皆さん、ご自身の往生のために


しっかりとお念仏を癖づけてお称え下さい。


阿弥陀さまは必ずお迎え下さいます。


私自身はまだお迎えいただいた経験はありませんが、


お経にちゃんと書いてあります。


また、何人もの念仏者が


「ああ、阿弥陀さまが来てくださった!」


「阿弥陀さん、こっちこっち!」


などと言いつつ極楽浄土へ往生して往かれた話を


そのご家族から何度も聞かせていただきました。


多くの菩薩さま方を引き連れて、


阿弥陀さまご自身がお迎え下さるのです。


その阿弥陀さまのお迎えを


「来迎(らいこう)といいます。


こんな心強いことはありません。



来迎について

  ↓

https://hourinji.blogspot.com/2020/08/blog-post_27.html


https://hourinji.blogspot.com/2020/08/blog-post_28.html


https://hourinji.blogspot.com/2020/08/blog-post_29.html





臨終の時には今まで築いてきた


地位も名誉も財産も置いていかなくてはなりません。


家族ともお別れです。


たった一人です。


しかし念仏称える者には


阿弥陀さまの来迎(らいこう)があります。


どうか阿弥陀さまに来迎(らいこう)いただけるよう


お念仏をお称えいただきたいと思います。


2021年1月13日水曜日

三種行儀(さんしゅぎょうぎ)⑲ 結帰一行三昧(けっきいちぎょうざんまい)

これまで「念仏者の心持ち」として


三心(さんじん)を、


「念仏者の生活」として四修(ししゅ)を、


「念仏実践の行儀」として


「三種行儀(さしゅゅぎょうぎ)を


お伝えしてまいりました。


それらの理論は重要ですが、


言葉や理屈を覚えることが重要なのではありません。


「極楽往生を願って阿弥陀さまにすがって念仏する」


これが重要なのです。


法然上人はこのようにおっしゃっています。


「善導(ぜんどう)の御釈(おんしゃく)を


拝見するに、源空が目には三心(さんじん)、


五念(ごねん)、四修(ししゅ)皆共に


南無阿弥陀仏と見ゆるなり」


つまり「善導大師(ぜんどうだいし)の


み教えを受け取ると、三心(さんじん)も


四修(ししゅ)も三種行儀(さんしゅぎょうぎ)も


すべて南無阿弥陀仏に見えるぞ」ということです。


三心(さんじん)も四修(ししゅ)も


三種行儀(さんしゅぎょうぎ)も、


心に「助け給え、阿弥陀仏」という思いで、


口には「南無阿弥陀仏」と称える、


ということを伝えているのです。


三心(さんじん)とか四修(ししゅ)という


言葉を知らなくても、常に「阿弥陀さま!」と思って


念仏を称えているなら、


それが三心(さんじん)の具わった念仏であり、


四修(ししゅ)や三種行儀(さんしゅぎょうぎ)の


実践になるのです。


「すべて南無阿弥陀仏の一行にこもる」


ということで、このことを


「結帰一行三昧(けっきいちぎょうざんまい)」


と申します。


『一枚起請文(いちまいきしょうもん)』にも、


同様のことが説かれています。


「極楽往生を願って阿弥陀さまにすがって念仏する」


それに尽きるのです。


2021年1月12日火曜日

三種行儀(さんしゅぎょうぎ) ⑳ 領解(りょうげ) その一

幼い頃に聞いた話を長い間忘れていて、


ずっと後に大人になってから、


「あれはこういうことだったのか」


と合点(がてん)することがあります。


知識として表面的に知っていたことが、


様々な経験をすることによって深まるのです。


これを「領解(りょうげ)」といいます。


頭の中での理解だけではない。


全身全霊、心の底から理解するのです。


今まで、五種正行(ごしゅしょうぎょう)、


三心(さんじん)、四修(ししゅ)、


三種行儀(さんしゅぎょうぎ)と


多くの項目をお伝えしてきました。



三心

https://hourinji.blogspot.com/search/label/%E5%AE%89%E5%BF%83%EF%BC%88%E3%81%82%E3%82%93%E3%81%98%E3%82%93%EF%BC%89


四修

https://hourinji.blogspot.com/search/label/%E5%9B%9B%E4%BF%AE%EF%BC%88%E3%81%97%E3%81%97%E3%82%85%EF%BC%89


三種行儀

https://hourinji.blogspot.com/search/label/%E4%B8%89%E7%A8%AE%E8%A1%8C%E5%84%80%EF%BC%88%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%97%E3%82%85%E3%81%8E%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%8E%EF%BC%89




それを「はい!わかりました!」と


すべてわかればよいのですが、


なかなかそうはいきません。


念仏の教えを知り、日々の生活の中で


実践していくのです。


実践を続ける中で


「あの時学んだ教えはこういうことだったのか!」


とググッと入る時がきっとくるでしょう。


続けていれば、何度もそういう転機が訪れます。


「こういうことだったのか!

何と有り難いみ教えなんだ!」


と全身全霊心の底から理解する。


それが「領解(りょうげ)」なのです。


2021年1月11日月曜日

三種行儀(さんしゅぎょうぎ)㉑ 領解(りょうげ) その二

「領解(りょうげ)とは


「本当にわかる」ということです。


「わかる」とは「変わる」ことであると言います。


親しくお付き合いいただいている先輩が、


これからお坊さんになる若い人に


よくこうおっしゃっていました。


「思いが変われば姿が変わる。


姿が変われば言葉が変わる」


本当に思いがわかればその姿も変わってくる。


姿が変われば、人と話す言葉も


自ずと変わっていくのです。


言葉が先に変わって、思いと姿が後に


変わることもあるでしょう。


お念仏を実践していれば、


いつしか心も変わり、知らない間に


姿も変わるかもしれません。


みなさんが念仏生活を続ける中で


「そうか、こういうことか。ありがたいなあ!」


と感じられる日が来ることを祈ります。


私も今まで何度も「そうか!」と


「領解(りょうげ)」する日があり、


今もその途上にあります。


本当に心の底から合点(がてん)し、


領解(りょうげ)する日を心待ちにしましょう。



(「三種行儀(さんしゅぎょうぎ)の項終わる)

2021年1月10日日曜日

四修(ししゅ)① 念仏者の生活

浄土宗の教えは

 

「極楽浄土への往生を願って、南無阿弥陀仏と称える」

 

ことにつきます。

 

ただ、それだけでは具体的にどうすればよいかが、

 

わかりづらいことでしょう。

 

そこで「念仏信仰ある者がどのような生活を送るか」

 

について、「四修(ししゅ)」が説かれます。

 

「四修(ししゅ)」は、

 

「恭敬修(くぎょうしゅ)」、「無余修(むよしゅ)、

 

「無間修(むけんじゅ)」、「長時修(じょうじしゅ)」

 

の四つに分けて説かれます。

2021年1月9日土曜日

四修(ししゅ)② 恭敬修(くぎょうしゅ)その一

「恭敬修(くぎょうしゅ)は読んで字のごとく、

 

敬うことです。

 

阿弥陀さまに対して、身体で敬いを表すことを

 

礼拝(らいはい)といいます。

 

先に五種正行(ごしゅしょうぎょう)の項でもお伝えしました。



礼拝正行(らいはいしょうぎょう)

https://hourinji.blogspot.com/2020/12/blog-post_3.html


 

 

礼拝(らいはい)は敬いを表す行為なので、

 

「恭敬礼拝(くぎょうらいはい)」ともいいます。

 

阿弥陀さまに身体で敬いを表し、心を向けていると、

 

不思議と我が身の愚かさが実感されます。

 

「何と私は情けない者であるか」

 

ということを感じてくるのです。

 

ですから恭敬(くぎょう)と

 

懺悔(さんげ)は表裏一体です。

 

懺悔について


https://hourinji.blogspot.com/2020/09/blog-post_14.html


https://hourinji.blogspot.com/2020/09/blog-post_15.html

 

敬いが即ち我が身の懺悔(さんげ)に繋がるのです。

2021年1月8日金曜日

四修(ししゅ)③ 恭敬修(くぎょうしゅ)その二

敬いの対象は仏・法・僧(ぶっぽうそう)の

 

三宝(さんぼう)です。

    

毎日のおつとめ「日常勤行式(にちじょうごんぎょうしき)」に

 

「三宝礼(さんぼうらい)があります。

https://hourinji.blogspot.com/search/label/%E3%81%8A%E3%81%A4%E3%81%A8%E3%82%81?updated-max=2020-10-11T05:00:00%2B09:00&max-results=20&start=4&by-date=false

 


三宝(さんぼう)に対して、礼拝(らいはい)し、

 

敬いを表します。

 

三宝(さんぼう)を敬うことは、

 

仏教徒の基本です。

 

仏教徒であればみんな、「仏さま(仏)」、

 

「教え(法)」、「仏教徒の仲間(僧)」を敬うのです。

 

阿弥陀仏をはじめ、観音菩薩、勢至菩薩、

 

それ以外のあらゆる仏・菩薩を敬います。

 

更には善導大師(ぜんどうだいし)、

 

法然上人、二祖聖光上人(しょうこうしょうにん)、

 

三祖良忠上人(りょうちゅうしょうにん)等の

 

祖師さま方を敬います。

2021年1月7日木曜日

四修(ししゅ)④ 恭敬修(くぎょしゅ)その三

仏・法・僧(ぶっぽうそう)の三宝(さんぼう)を

 

敬うのですから、当然お寺の仏像、

 

そして皆さんのお家のお仏壇の仏さまを

 

どうか大切にしてください。

 

お仏壇には毎日お水やお茶、

 

炊きたてのご飯などをお供えをし、

 

何日かに一度は掃除もしましょう。

 

また、線香を立ててよい香りをお供えしてください。

 

決して自分が煙たいと思うような線香を立てるのではなく、

 

できるだけ上質の、

 

自分が良い香りだと思う線香をお供えしましょう。

 

詳しくは以下をご参照ください。

 

香偈

https://hourinji.blogspot.com/2020/09/blog-post_8.html

https://hourinji.blogspot.com/2020/09/blog-post_9.html

2021年1月6日水曜日

四修(ししゅ)⑤ 恭敬修(くぎょしゅ)その四

三宝(さんぼう)を敬う仏教徒は、

 

仏壇に足を向けて寝たり、座ることは避けましょう。

 

また、傷んでいた放っておかず、修理をしましょう。

 

修理や引っ越しの前に、

 

必ずお寺へお願いして、仏さまや祖師さま、

 

お位牌のお魂を抜いてもらいましょう。

 

修理や引っ越しが終わり、丁寧に仏さまをお運びして、

 

安置したら、お魂を入れさせていただきましょう。

 

しなかったら罰が当たるということではありません。

 

ちゃんとお魂が入った仏さまをお迎えして、

 

「ここに仏様がいらっしゃる」と

 

思いを寄せてお仕えするのです。

 

「ここに仏さまがいらっしゃる」

 

という思いをなすのです。

 

本当にここにいらっしゃると思って

 

お供えし、お経やお念仏を称えるのです。

2021年1月5日火曜日

四修(ししゅ)⑥ 恭敬修(くぎょうしゅ)その五

仏教徒ならば当然「お経」を大切にしましょう。

 

念仏者はとりわけ「無量寿経(むりょうじゅきょう)」、

 

「観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)」、

 

「阿弥陀経(あみだきょう)の、

 

「浄土三部経(じょうどさんぶきょう)」

 

を敬い大切にしましょう。

 

教えの内容は勿論のこと、

 

お経の本も大切にして下さい。

 

決してお経の本を、ホイと放ってはいけません。

 

また床に置くことも避けましょう。

 

僧侶はお経の本の下に扇子を敷きます。

 

少なくとも膝の上に置くか、

 

紙や袱紗(ふくさ)などを敷きましょう。

2021年1月4日月曜日

四修(ししゅ)⑦ 恭敬修(くぎょうしゅ)その六

 仏教徒同士、念仏者同士敬い合いましょう。

 

他人が念仏する姿を見て、

 

「かっこつけて」などとひがんではいけません。

 

他人が善いことをしていたら、心から喜びましょう。

 

「人を敬う」ということは、

 

簡単でありながら実は難しいことです。

 

私たちはすぐに人と比べて

 

「勝ち負け」「損得」の判断をしてしまいます。

 

仏教には「随喜(ずいき)」という言葉があります。

 

「他人がよいことをしていたら心から喜ぶ」ことです。

 

人間は隣に蔵が建つと喜ばず、妬みます。

 

そうではなく、他人の善い行為を喜ぶのです。

 

そうやって念仏者はお互いを敬い合いましょう。

 

以上、「三宝(さんぼう)を身体で敬い、言葉で敬い、心で敬う」。

 

これが恭敬修(くぎょうしゅ)です。