2020年8月13日木曜日

所求・所帰・去行㉓(三種の愛心)

どれだけ死を覚悟していたとしても、

 

いざ死を迎えるとなると、生に対する強い強い

 

執着に苛まれるといいます。

 

その執着に三つあります。

 

一つ目は「境界愛(きょうがいあい)」といいます。

 

「私の家族」「私の夫」「私の妻」「私の子」「私の家」

 

「私の財産」「私の土地」「私の愛犬」などなど。

 

「私の○○」に対する執着心です。

 

これは今まで一生かかって築き上げてきた

 

数々の自分の生きた証を失いたくない、

 

そのように執着する心が強く出るのです。

 

二つ目は「自体愛(じたいあい)」です。

 

皆さんは自分の身体に不満はありませんか?

 

「ひざが痛い」「腰が痛い」「目が気に入らない」

 

「シワがあるのが嫌」「もっと明晰な頭脳に生まれたかった」

 

様々な不満やコンプレックスがあるかもしれません。

 

しかし、いざ死を迎えるとなると、

 

一生の間なじんできた我が身体と離れたくない!という

 

執着が起きるというのです。

 

こんなに不満だらけなのに、

 

手放したくなくなるのだそうです。

 

また、もちろん自らの「命」を失いたくない、

 

という執着も強く起こります。

 

そして三つ目は「当生愛(とうしょうあい)」です。

 

「命尽きたら極楽浄土へ往くのだ」と

 

信じていても、いざ死を迎える段になると

 

「本当に極楽へ往けるのだろうか?!」という

 

強い不安が現れるといいます。

 

「死んだらどうなるの?極楽へ往けるの?

 

無になるの?死んだら、おしまいなの?」

 

実際に体験したことがありませんから、

 

不安で不安で仕方なくなるのです。

 

これら「境界愛(きょうがいあい)」、

 

「自体愛(じたいあい)」、「当生愛(とうしょうあい)」

 

を「三種の愛心(さんしゅのあいしん)」といいます。

 

「愛」という言葉は仏教用語で

 

「執着」という意味もあります。

 

この錯乱状態の時に、阿弥陀さまはお迎えくださるのです。

 

「死にたくない!死にたくない!」と

 

柱にしがみつくように、生にしがみついているところに、

 

阿弥陀さまがたくさんの菩薩を引き連れて来迎(らいこう)

 

してくださいます。

 

そんなお姿を見て「ああ、阿弥陀さまが来て下さった!

 

先に極楽へ往生したあの人も迎えに来てくれた!

 

助かった!」と、生へのしがらみの

 

手がほどけるのです。

仏説阿弥陀経⑪

 (本文) 四辺(しへん)に階道(かいどう)あり。 金(こん)・銀(ごん)・瑠璃(るり)・ 玻璃(はり)をもって合成(ごうじょう)せり。 上(ほとり)に楼閣(ろうかく)有り。 また金(こん)・銀(ごん)・瑠璃(るり)・ 玻璃(はり)・硨磲(しゃこ)・ 赤珠(しゃくしゅ)・碼碯(め...