毎日お念仏唱えているのでしたら、
それでよさそうなものですが、
私たちには怠け心がありますから、
慣れてくると心が萎えてくることがあります。
法然上人は
「時々別時(べつじ)の念仏を修(しゅ)して、
心をも身をも励まし、調え進むべきなり」
と仰っています。
そして「毎日たくさんのお念仏を称えていても、
人の心というのは目が慣れ、
耳が慣れてきたら、段々心が弱くなり、
毎日の忙しさにかまけて
心が落ち着かなくなってきて、
お念仏が疎かになっていくものです」
と仰います。
まことにその通りです。
「ただ称えるだけ」でよいお念仏さえも
続けるのは難しいのです。
そのために
「時々別時の念仏を修すべきである」
とおっしゃるのです。