2021年2月11日木曜日

二河白道(にがびゃくどう) ⑦ 譬えの解釈 その二

「二河白道(にがびゃくどう)」の「二河(にが)」、


すなわち水の河と火の河は何をあらわすのでしょうか。


「水の河」は私たちの「貪りの煩悩」をあらわし、


「火の河」は「怒りの煩悩」をあらわします。


二河の間を通る、幅わずか四五寸の


「白道(びゃくどう)」は、貪りや怒りの


煩悩の中から、「浄土への往生を求める清い心」が


生まれることにたとえられています。


波が常に道を濡らすのは、愛欲の心が常に起こり、


善い心を汚すことをあらわします。


また、火の河が常に道を焼くというのは、


怒りの心が仏法の功徳を


焼き払ってしまうことにたとえられます。


東の岸から旅人が白道を歩むことを


勧める声は、「お釈迦さまの教え」をあらわします。


お釈迦さまはすでに入滅されて、


お姿を見ることは叶いませんが、


教えが現代にもきちんと伝わっていますので、


聞くことができます。


それをあらわすのです。


12月後半のことば 自分の罪に気づいたら…

 12月後半のことば 「雪のうちに 仏の御名を称うれば 積もれる罪ぞ やがて消えぬる」     法然上人                    しんしんと降る雪は、一粒はか弱くても、積もれば景色を一変させ、道さえ塞いでしまいます。私たちの心に積もる「罪」も、これに似ています。  ...