(本文)
譬えば千歳(せんざい)の闇室(あんしつ)に
光(ひかり)若し暫く至らば、
即便(すなわち)明朗なるがごとし。
闇、あに室に在ること千歳(せんざい)にして
去らじと言うことを得んや。
是を心(しん)に在りと名づく。
(現代語訳)
たとえば千年間真っ暗であった闇室(あんしつ)に、
一瞬でも光が入れば、たちまち明るくなることでしょう。
「千年もの間暗かったので闇は去らない」
などということがありましょうか。
これが「心(しん)に在り」という理論です。
例えば千年間扉を閉じて、
暗闇であった部屋を明るくするのに
千年かかるでしょうか?
かかりませんよね。
光が入れば一瞬の中に明るくなります。
それと同じように、親殺しの罪を行う心は
闇のようなものだけれど、
念仏の光が心にさせば瞬く間に明るく輝くのです。
よって罪を作る心より念仏の心の方が重い。
これが在心(ざいしん)と呼ばれる量り方です。