(本文)
譬えば人有りて毒の箭(や)を被(こうむ)りて、
中(あた)る所、筋を切り骨を破るに、
滅除薬(めつじょやく)の鼓(つづみ)を聞けば、
即ち箭(や)出で毒除こるがごとし。
〈首楞厳経(しゅりょうごんぎょう)に言わく、
「譬えば薬有り、名づけて滅除と曰う。
若し闘戦(とうせん)の時用いて以て
鼓(つづみ)に塗るに、鼓(つづみ)の声を聞けば
箭(や)出で毒除こるがごとし。
菩薩摩訶薩(ぼさつまかさつ)
亦復(また)是(かく)のごとし。
首楞厳三昧(しゅりょうごんざんまい)に住して
其の名を聞けば、三毒の箭(や)
自然(じねん)に抜け出ず」と。〉
あに彼の箭(や)深く毒激しくして、
鼓(つづみ)の音声(おんじょう)を聞くとも、
箭(や)を抜き毒を去ること
能(あた)わずと言うことを得(う)べけんや。
是を縁に在りと名づく。
(現代語訳)
たとえばある人が毒矢に当たって、
筋を切り骨を破ってしまったとしましょう。
ところが滅除薬(めつじょやく)を塗った
鼓の音を聞くと、たちまち矢が抜け出て
毒も除かれるようなものです。
首楞厳経(しゅりょうごんぎょう)には、
「たとえばここに滅除という名前の薬があるとしよう。
もし戦の時にその薬を鼓に塗ると、
鼓の音を聞けば矢は抜け出て、
毒は除かれる。覚りを求める者も同様である。
首楞厳経三昧(しゅりょうごんざんまい)に入って、
その名を聞けば、煩悩の矢は自然と抜け出るものである」
と説かれています。
そうであるのに、矢が深く刺さり、
毒が激しいからと言って、
鼓の音を聞いても矢が抜けて
毒が除かれることができないなどということが
あり得ましょうか?
これが「縁に在り」という理論です。
毒矢にあてられ筋が切れ、骨が折れた時に、
滅除薬を塗った鼓を打ち鳴らしたら、
その鼓の音を聞いただけで、
矢は抜け毒も除かれるといいます。
ちょっとピンとこないかもしれませんね。
あえて解説をしますと、「毒矢に当てられた人」というのは、
「迷いの世界の凡夫」です。
また、「滅除薬の塗られた鼓の音」は、
「南無阿弥陀仏のお念仏」です。
お念仏に具わる偉大な力が、
鼓の音に託されているのです。
お念仏には、人間の浅はかな考えでは捉えられない
不思議な力が具わっているのです。