2021年3月16日火曜日

三義校量(さんぎきょうりょう) ⑫ 両経は一義

(本文)


三の義を校量(きょうりょう)するに十念は重し。


重きもの先ず牽きて能(よ)く


三有(さんぬ)を出(い)ず。


両経(りょうきょう)は一義なるのみ。




(現代語訳)


これら三つの基準で量ってみると、


十念が重いということがわかります。


「重い方に傾く」のですから、


罪が重い人も念仏によって苦しみ迷いの世界から


抜け出ることができるのです。


「業道経(ごうどうきょう)」も


「観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)」も


同じ理屈で説かれているのです。




この三つの義、「在心(ざいしん)」「在縁(ざいえん)」


「在決定(ざいけつじょう)」の


三義によって量ってみると、


大悪人の罪の重さよりも念仏によって


極楽へ往生させていただく


み教えのの方が勝るということです。


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